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■仕事への体当たりで頭を磨く1 [頭を鍛える]

[グッド(上向き矢印)]人間の能力には伸びる時期がある
 私たち人間の知力を意味する「脳力」にしろ、体力や技術力をも含めた力を意味する「能力」にしろ、決して、一直線で伸びるものではない。
 世の中には、子供の頃は神童と呼ばれていたのに、社会に出て行き詰まる人間もいれば、若いうちは凡才と評されていたのに、人生の後半で伸び、懐の深い大人物といわれるようになった人間もいる。
 ところが、一般の人たちは現代の日本を学歴社会だと思い込んでいて、いい大学に入学した時点で、あるいは一流企業に入社した時点で、その人の長い人生が決まったという見方をする傾向があるようだ。
 私が思うには、学歴社会というのは大学の先生や官僚組織の一部においてのみいえることで、その他の世界では全く錯覚にすぎない。ほとんどすべてが実力の世界である。だから、今まで目立たなかった人間が、ある時から急に才能を発揮して伸び出し、注目を集めるということがよくあるのだ。
 明らかな実力の世界であるスポーツ界と、サラリーマンの世界とを比較してみれば、さまざまな面で著しい差があるにしても、芽の出ない状態の時やスランプの時に、体当たりの猛烈な努力の積み重ねがあったかどうかが、その後の伸び方の決め手になっていることだけは共通しているようだ。
 例えば、大相撲の力士やプロ野球の投手がある日突然、実力が伸びたように見えた場合でも、実際には、彼らが負けながらも、打たれながらも研究心を燃やし、肉体に力をつける厳しい練習を続けてきた結果なのである。努力で次第に実力がつき、ある日たまたまその一端が現れ、勝負に勝つと自信を持ち、その後は自信が実力をフルに発揮させるようになったのだろう。
 その日がいつくるかは誰にもわからないが、努力さえしていればいつかは必ずくるということの好例である。
 スポーツ界は結果が数字に表れるので、伸びたことが特にわかりやすい。ビジネスの世界や学業でも、同様に、ある日を境に突然力がつく、伸びるといったケースはよくあるもの。
 昔流にいうと、「艱難(かんなん)汝(なんじ)を玉にす」とか、「苦労それ自身に価値がある」ということである。
 そういう意味では、自らを窮地に追い込み、あがきながら最後まで手段を尽くし、全力投球するということが、頭を鍛える上で大いに役立つものである。
 こうした努力からは、たとえ上司が期待した水準の成果は出なかった場合にも、本人の持てる力からすれば、十二分のものが生まれているのである。その上、将来の成長のための潜在力が育成されるのであるから、本人にとってはかなりの成果が得られたといってよい。最初から与えられた仕事を避けた人に比べて、その後の人生において大きく伸びるチャンスをつかんだことにもなる。
 反対に、現在の困難を避ける人は、将来の伸びるチャンスを自ら放棄しているのだといっても過言ではないだろう。「こんな仕事、目立たないから嫌だ」などと、要領よく仕事を手抜きする人間は伸びない。
 与えられた仕事をどんなことでも、一生懸命やる人間のほうが頼もしい。
[グッド(上向き矢印)]働くほどに生まれる肉体の創意工夫
 会社のために一生懸命働くということは、直ちに自分のためにもなる。懸命に会社の仕事をし、それを通じて自己を磨く。そうして、絶えず向上しようと心掛けるべきだ。
 その仕事のために必要な知識や能力について勉強すれば、面白く、興味も湧いてくるだろう。労働するということは、本来楽しい、面白いことである。これを苦しい、つまらないものにしているのは、人間の自己意識のなせる業にすぎない。
 また、己の職業を天職と確信し、迷わず努力してゆけば、必ず仕事がよくわかるようになってきて上手になる。上手になれば、この仕事は自分に適していると思うようになり、面白くなってくる。そうなれば、もはやその仕事は苦労ではなくなり、道楽に変わるというものである。職業の道楽化は人生の最大幸福である、ともいえる。
 誰にも、「よし、やろう」と決意した仕事が見事に完成した時の、素晴らしく、楽しく、幸せな体験があるだろう。汗水たらしての艱難辛苦の後に、ついに険しい頂上を極めた時の感激はどうか。「万歳」と叫ばずにはおれないだろう。
 才能を伸ばすコツも、人生のコツもここにある。持っている力を出さず、何もしないで怠惰に一日を空費したのでは、夜は決して快適な眠りを与えてはくれない。人間がよりよく睡眠をとるためには、ある程度の疲労が必要条件である。
 ただ、その疲れは何でもよいというわけにはいかない。望ましい疲れは、例えばスポーツの後のさわやかな疲れを思い浮かべれば、誰でも思い当たるであろう。このさわやかな疲れは、昼間、それぞれの職分において、快適に働いた後に得られるものである。精いっぱい、自己を完全燃焼させて残る疲れであり、それによって自らを高め得た疲れである。
 こういう価値ある疲れこそ、夜、眠りによって自己を充実させる源泉になるものだから、職業の選択もおろそかにしてはなるまい。
 ビジネス界で精力的な活動家といわれた人物を観察してみると、決して無駄で余計な意識を使わず、明るく活発な「気」を集中させながら、自我意識を捨てて仕事に取り組んでいる。そして、全精力をその日一日の仕事に使い切る。これが大切なコツ、中途半端はいけない。手抜きやサボタージュは、肉体を一時的に楽にはしても、「気」の流れを妨げ、心にスキを与えることになる。
 その日一日の仕事に全精力を使い切るという心掛けの人は、性格も素直で明るく、健康で賢明で、社会的に成功者が多い。もちろん、肉体は疲れる。へとへとに疲れ切るだろうが、そういう人の肉体は、一晩ぐっすり寝ると疲労そのものが明日のエネルギーに変換しており、前日楽をして疲労しなかった人よりも元気で、精力的に働けるものである。
 肉体の巧妙さは、「気」エネルギーを出せば出すほど、使えば使うほど多く出るようになるという点である。働けば働くほど、肉体から知恵はいくらでも湧くのである。
 人間の肉体には、誰にでも宇宙根源の真理力という「気」エネルギーが潜在している。それは、肉体一色の命懸けの熱心さで仕事に励む時、はじめて力として、またヒント、アイデアとして、さまざまの工夫として現れるもの。
 当然、命を懸けるくらいの覚悟があるならば、物事に取り組む態度というものが、おのずと真剣になる。従って、考え方が一新し、創意工夫ということも、次々に生まれてくる。命が生きて働いてくれるからだ。
 かくして、そこから私たち人間が繁栄していく方法というものが、無限に湧き出してくるのである。この無限に潜んでいるものを一つひとつ探し求めていくのが、人間の営為であり、私たちお互いの、人間としての務めだ。「もうこれでよい、これで終わりだ」という考えは、人間の務めに反した考えだといわなくてはならないのである。
 人が命を懸けて仕事に励めば、命が働いてくれて、無限の知恵が出る。それまで隠されていた真理が現れて、素晴らしい働きをしてくれる。それは、命、すなわち人間の体、肉体が汲(く)めども尽きない力と知恵を発揮してくれる、という意味である。
[グッド(上向き矢印)]仕事の価値を知れば能率アップ
 さて、人間が仕事を進めるに当たっては、自らの実務能力を高め、限られた執務時間の中で能率的に事をなす努力も続けなければならない。
 そのためには、自分の仕事の重要性を認識して、取り組む心構えが欠かせないだろう。
 「書類を作成するなんて、つまらない仕事だ」と否定的に考えていれば、取り掛かる時も気力が充実し、意欲が出るどころではないし、ダラダラと仕事をして、つまらないミスを繰り返したりする。そもそも、人間の心理というものは、つまらないこと、簡単にできるやさしいことを前にしては、いくらやる気を出したつもりでも、意欲が高まらないのが普通なのである。
 逆に、「今作るこの書類一枚がなければ、会社の仕事は動かないし、私が少しでもミスをすれば、会社や取引先に迷惑をかけることにもなる」と、自分の仕事が重要で、価値あるものと認めれば、自然に書類を作成するのにも積極的になり、能率もアップするものである。
 同じように、人間は心理的に、先行きの予測が立たないことについては強い不安感を抱くもので、それが行動意欲の減退につながることが多いから、自分が取り組もうとしている課題の全体像を把握し、結果をある程度予測することが大切となる。
 一つの仕事に取り組む場合でも、全体の見通しが立つ条件と見通しが立たない条件とでは、仕事の結果に大きな差が出るものだ。
 まだ体験したことのない仕事をする際には、その仕事を経験した人の話を聞くなり、自分で調べたりして、情報を少しでも多く集め、自分が新たに挑戦する課題の全体の見通しを持つようにすればいい。
 自分の仕事の全体像をイメージできない例として、「大企業病」という言葉がある。企業が巨大になりすぎると、社員たちが大きすぎる組織の中で、自分の役割分担を見失ってしまうのが、病気の最大の原因である。
 無論、やるべきことは上司から指示されてわかってはいても、自分の仕事が組織の中でどのくらい重要性を持つのか、見当がつかなくなってしまう。こうなると人間は、与えられたことを与えられた時間以内にこなす以外、興味をなくしてしまう。仕事に創造的な喜びを見いだせず、いわゆるルーチンワークをこなすだけの人間になってしまう。
 そんな社員ばかりになれば、組織全体の生産効率は目に見えて落ちる。各職場ごとの社員に、向上意欲がなくなってしまうからである。
 自分の取り組んでいることに何の意義も感じず、自分の達成したことがどの程度、会社や社会の役に立っているのかがわからなくては、仕事に意欲を出して頑張ろうとしても、無理なのは当然だ。
 反対に、自分の仕事が必要とされているのだとわかれば、大いにやる気も湧き、次第に実務能力も高められていく。中小企業の中に多いが、社員一人ひとりが組織の中での自分の役割をつかみ、「自分がやらなければ」という気持ちで働いている会社は発展する。
 自分の仕事が確かに役に立っている。自分が製品を作ることで喜んでくれる人がいる。こうした意識を持てるかどうかは、仕事の張り合いにも大きくかかわってくる。張り合いややりがいは、人から与えられるのを待っていてもしょうがない。
 どのような仕事にしても、要は自分の見方、考え方次第である。何もあえて自ら自分の仕事をつまらなく考える必要はないから、自分の会社の製品を喜んで使ってくれているお客の姿を想像する。自分が仕事をしなければ、会社の中で支障をきたしたり、迷惑をかけたりする部署が必ずあることを考えてみる。
 こうしたことをイメージしてみるだけでも、組織の中の一員としての、自分の仕事の重要さを意識できるであろう。
[グッド(上向き矢印)]考える前に体で専念するがいい
 ここまで述べた工夫で、自分の役割の重要性、価値を認識しながら仕事に臨めば、意欲的に、楽しく業務を遂行できることだろう。たとえ単調な仕事であっても、「気」を入れて能率よく働けば、知恵が身につく。
 ここにも、業務に習熟し、自らの能力を高め、仕事を楽しみ多いものにするコツがある。誰もが「しなければならないからやる」という態度でするのではなく、価値ある仕事への努力に対する満足感、完成した場合の快感のためにやるように、心の持ち方を変えてみることである。
 スポーツは、自分の満足のためにやっているからこそ楽しい。もし、これが強制的に課せられた労働だったら、必ずしも楽しいものではなくなるだろう。同じことが仕事にも当てはまる。
 喜びとして、また自分の創造力の表現として見ることによって、仕事は楽しみとすることができ、そこから人生と仕事に対するゆとりが生まれてくる。実際にそうしている人々の例もたくさんある。
 「どういわれようと仕事なんか楽しくない」という人は、「仕事が嫌だなあ」などと考える前に、まずその仕事に飛ぶ込み、体で専念してやってみればいい。あれこれ考えずに、思いっ切り自分の体を動かすことが意欲につながる。最初に一歩を踏み出す。そうしてはじめて状況は動く。
 ほんのちょっとした行動を起こすだけでも、状況は大きく変わり、仕事、あるいは勉強に集中するきっかけを作ることになるもの。机に着くだけでいい。書類をペラペラとめくるだけでもいい。鉛筆を手に持って、ノートに何でもいいから書いてみるだけでもいい。
 とにかく、行動することが大事なのである。書類を眺めたりしているうちに、次第に「やはり今のうちにやっておいたほうがいいかな」という気持ちも生まれてくる。そこで「よし」とやる気を出せばよい。
 すぐ行動する習慣を自分のものにし、ここ一番という時に意欲を燃やし、その集中力を持続させるエネルギーを持つためには、ふだんからスポーツなどで体を動かす習慣を持つことを勧めたい。
 日本の優秀なビジネスマンも、体を動かすことで仕事への意欲を喚起しているようだ。経営のトップにある社長、第一線のビジネスマンや現場を統括する管理職たちは、それぞれ「出社前に水泳をすることで、まず体にエンジンをかける」、「毎朝のジョギングの後に朝風呂に入って心身をリフレッシュさせてから出社する」、「毎朝五時に起床して近くの公園を散歩してからラジオ体操をやる」と、ビジネス雑誌などで独自の体を動かす健康法を語っている。
 これらの運動は、健康管理の一つの方法であるとともに、自分の意欲を喚起するためのものでもあるはずだ。体を動かすことで精神も興奮する。仕事をしなければならないという積極的な気持ちが刺激され、「怠けたい、仕事をしたくない」というマイナスの気持ちを上回る。そこで、今日一日の仕事への意欲が生まれてくるというわけである。





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■仕事への体当たりで頭を磨く2 [頭を鍛える]

[決定]集中力を持続させる気分転換法
 意欲を喚起する方法の一つとして体を動かすのに、時間や場所にこだわる必要はない。仕事や勉強をしている最中、「能率が落ちてきたな」、「ちょっとダレてきたな」と自覚したら、その場で椅子(いす)から立って、背伸びや屈伸運動をしてもいい。床に手をついて腕立て伏せをしてもいい。
 運動の種類は何でもいいのである。要は、体を少し動かすことで、心に活を入れればいいのだ。
 仕事が順調にいかない時や、イライラして手につかない時には、会社の屋上へ出てみたり、トイレに入って、ゴルフのスイングや野球の素振りのまねをしてみるのもよい。会社の階段を駆け足で上り下りしてみるのもいいだろう。これだけでも、気分が爽快となり、「もう少し頑張ってみよう」と、全身に意欲がよみがえってくるものである。
 このように、ただ自分の体を動かすだけでも効果があるが、仕事中にキビキビと素早い動作をするようにすれば、心のエンジンも始動する。
 ダラダラと緩慢な動作で仕事をしていたなら、意欲も湧かないはずである。一方、キビキビと素早い動作で仕事をしてみると、不思議に意欲が出てきたという体験は誰もがあることだろう。
 緩慢で鈍い動作では、体に興奮が起きてこないから、精神も興奮しない。動作を素早くすると、自分の体にすぐに興奮が起こり、精神にも興奮が伝わる。体のエネルギーが心のエネルギーに変わり、意欲が出てくるというわけだ。
 そこで、仕事に気乗りがしない場合には、書類をめくるスピード、文字を書くスピード、何でもいいから自分の動作を早くしてみることを勧めたい。
 さらに、キビキビした動作とともに、リズミカルな動作で仕事を行うこともぜひ勧めてみたい。
 熟練した大工、左官、庭師、土工などの仕事ぶりを見ていると、仕事の上手な人ほど体がリズミカルに動いていることに気がつくだろう。頭脳的な仕事をする場合の心身のリズムも、これと同じ理屈である。能率の悪い人は、何か一事を始めても完全にやり終えないうちに、中途半端なところでほかのものに手を出したりして、仕事に少しもリズムが見られない。
 そういう人は、ある時間、決して無駄で余計な意識を使わず、一つの仕事だけに熱中するようにすれば、おのずとリズムが生まれてきて、意欲が出るから能率が上がるものである。
 といっても、やたらに根を詰めて仕事をするように、勧めているのではない。むずかしい仕事を一気に片づけようとするのでは、息が続かなくなるから、途中でペースを調節しながら気力を一新し、能率をよくする工夫をしなければならない。
 人間の集中力とは、一種の瞬発力である。時間がたてば、次第に減退するのが当たり前といえよう。では、いかに気力を一新し、気分転換をうまくはかるか、そこにどう心を配るかが、集中力の持続を左右するカギとなる。
 仕事でも、例えばルーチンワークは、自然と手順がマンネリになってしまうものだ。そこで、業務に支障が起きぬようにしながら、順序を変えてみる。反復作業はワン・パターンに陥りがち、手順を変えることによって、緊張感が回復し、能率が上がる。
 場所を変えてみるのも一案。哲学者が散歩をしながら考えるというのも、思索に集中し続けるためと思われる。
 手順や場所など目先を変えただけでは、どうしても集中できないという場合は、作業を中断し、仕事を再検討してみる。期日が迫っている仕事でも、やはり飽きはくる。焦れば焦るほど集中できないという矛盾にも陥る。そこで、今までどれくらい作業は進んだか、スケジュール通り進めていいのか、期日までにはどのくらいのペースでやればいいのかなど、再検討してみる。そして、緊張感が戻るのを待つのである。
 作業を思い切ってやめ、何もしないのも手である。この何もしないは、文字通りテレビ、ラジオ、散歩などすべて許されない状態とすること。そのうち反動で、何でもいいからやりたいという意欲が、湧き上がってくる。
 気分を換えるのと、現実離れした状況に自分を置くことで、かえって頭の疲れがうまくとれるものなのである。
[決定]将来展望から今日一日を考える
 人間が仕事や勉強に意欲を燃やし、能力を高めるための工夫を各種述べてきたが、そもそも、私たち人間の体は働きそのものである。仕事や勉強に忠実、勤勉の毎日を積めば、将来の生活の基礎となる自己というものが確立するはずである。
 その点、一日を大切にすると同様に、自らの将来のことでも、自分の家庭のことでも、会社の仕事や経営のことでも、先の先を読み取ること、壮大でかつ綿密な先見性という能力を身につけることも大切となる。長い単位としては二十年後、中期では五年から十年後、短期でも一年から二年先までの状態を見つめる。
 二十年先にはどうなっているか、どうすべきかと考える。そのためには十年後にはどうなっていなければならないか。その十年後の自分や家庭や会社の理想の状態を可能にするには、一年後にはどう進展していなければならないか。さらに、そのためには明日、そして今日やるべきことは何かを考える。
 二十年後という大きな展望から、今日やるべきことまでを考えるのである。二十年後の状態というのは、まだボンヤリとしか見わたせないだろう。
 それを十年後、五年後、一年後といったように細分化してゆくと、今日やるべきことにたどり着く。つまり、今日一日の実行すべきことというのは、一見見えないようであっても、実は二十年後にちゃんとつながっていくのである。
 こういう将来展望という大目標、今日一日やるべきことという小目標は、人間にとって非常に大事である。人間は目的に向かってこそ、努力をしたり、苦労をしたりできるもので、それこそ雲をつかむような漠然とした状態では、意欲を高めようもない。
 だからといって、あまりにも現実離れした高い目標を掲げてしまうと、人間はその能力を発揮できないものである。
 目標が適度だった場合には、人間は「よし、やってやろう」という気になる。それが大きすぎたり、高すぎたり、漠然としたものでは、気持ちがついていかない。
 成功した人の話を聞いてみると、大目標と小目標の使い分けがうまい人が多いものである。「絶対社長になろう。会社を十倍にしてみせる」などと、十年後、二十年先の大目標はもちろん持つのであるが、「まずこの目の前にある仕事を成功させるのだ」、「今度の商談は絶対にまとめてみせる」と、ちゃんと目に見えやすい小目標も同時に持っている。 誰にでもつかみやすい単純な目標は、人間に力を与える。頑張れば達成できそうだと思えれば、人間は気持ちが前向きになるのである。
 誰もが「どうしてもこれをしなければならない」と没頭し、成功した体験の一つや二つはあるはずであり、それは目標が明確であったからである。
 成功したいという決心、それに向かっての情熱、意欲が人生における成功のカギであるが、目標を明確にすることによって、それに向かって能力を磨けるし、目標があってはじめて生きがいも生まれるのである。
 生きがいとなる大目標についていえば、例えば金持ちになりたいという気持ちは、人間誰にもあるはずだし、努力もしているだろう。しかし、ここから先、アプローチの仕方が重要なのである。
 企業内で出世することによって高収入を達成するのか。事業を起こして金持ちになるのか。あるいは、プロのスポーツ選手や音楽家などを目指して実現しようとするのか。
 方法は多様であり、どれを選択するのかをまず決めることからスタートしよう。その上で、実業家を目指す人であれば何年先に自社所有のビルを持つのか、持つとすれば何階建てにするのか、場所はどこにするのかなどと、できるだけ具体的にしていくのである。
 学者になりたいという人であれば、専門の分野は何か、どの大学で教えるのか、はたまた、世界最先端をいく学者としてノーベル賞を目指すのかといった点まで、明確にすべきである。
 また、目標は一つでなければいけないということではない。それどころか、学校や仕事における目標、家庭生活における目標、さらにはトータルなライフスタイルでの目標と、異なる方面ごとに目標を掲げ、それぞれの達成に向けて積極的に挑戦し、情熱を傾けることを勧めたい。
[決定]人生における大きな目標を掲げよ
 人生における目標は、大きければ大きいほどいい。あまりにも現実離れした目標であってはならぬが、自分の能力以上と思われる大きなテーマを目標として、「やってみよう」と決断し、全力で取り組むことが、人生においては大変大切なことである。成功している人はすべて、その道を通ってきている。
 逆に、小さな目標を設定し、それすら達成できなければ、計り知れないほどのダメージを受け、立ち直るのに時間がかかる。
 大きな目標を掲げた場合は当然のことながら、自分の能力との食い違いを埋める努力をしなくてはならないし、挫折感を味わうことにもなろう。だが、それを繰り返してこそ能力、才能というものは磨かれていくのである。
 その上、人間は目標を突破するたびに、自信がついてくるはず。目標を一つ越えるたびに、積極的で、たくましい人間に変身していくのだ。
 別の言葉でいえば、大きな目標に向かうということは、苦難の連続でもあるわけだが、それを突破するたびに信念がより強固になり、そうなれば、自分でも気づかなかった潜在能力が次々と開花し、文字通り奇跡をも起こすことが可能になってくるのである。胸に抱く夢の大きさが、その人の将来の大きさを決定する、といってもよい。
 同じ高さの山を見ても、一方は大きな山だと感じて引き返し、他方はとにかく登ってみようと挑戦する。いうまでもなく、能力をいかんなく発揮して大きな成果、成功をものにすることができるのは、後者のような積極的思考の持ち主である。
 「自分には大きな目標を達成することができないのではないか」と恐れていては、いい結果は生まれない。楽観的、かつ積極的に、「山は登れる。必ず成功する」と確信して取り組むところに、創造的で無限の供給を得て事をなし得るのである。
 この点、成功者と呼ばれる人物は、並みはずれたやる気あふれる努力家であり、忍耐力、あるいは信念が強かった人たちである。
 反対に、何をやっても成功しないという人は、あまりにあきらめが早く、不可能という言葉に慣れすぎているだけであるといえる。ここで認識すべきは、目標を明確にしたら、今度は、目標達成に一歩でも近づこうと真剣な姿勢をとること、我慢強く努力すること、信念を持って行動すること、それが成功への次のステップであるということだ。
[決定]大脳を刺激する早起き生活の実行
 人生における目標を達成するエネルギーを発揮し、将来につながる大切な今日一日の時間を有効に使うために、私がぜひ勧めたいことの一つに早起きの実行がある。
 なぜなら、早起きをしていると、心身が宇宙天地大自然のリズムに等しくなり、ふだんは表に出ない能力まで、発揮することができるパワーが得られるからである。
 同時に、早起きをしていると、物事を明るく前向きに考えるようになり、日常生活の幸運も、ビジネスチャンスも、自然に開けてくるものである。
 人間の肉体の生理面から考えても、早起きが明るく、前向きな気分にしてくれることが納得できる。人間の体温は、午後二時頃にピークに達する。逆に、夜中の二時から四時頃に最低になる。体温が低いというのは、いい睡眠をとるためには非常に大切な要素である。そして、最低になった頃から体温は徐々に上昇し始める。この体温が上昇するということは、とりもなおさず睡眠と逆、体が覚醒(かくせい)してゆくための条件である。体が生理的に順調に目覚めていくタイミングに合わせて、午前五時頃に起床すれば、心身が気持ちよく目覚めていくのは当然なのである。
 だから、さっぱりと快い早起きは、追い詰められた気持ち、焦燥感、いら立ちなど、心身の病気の原因になる心の傾向をなくすことができる。加えて、人間の頭を柔らかくして、先入観や固定観念などを取り除き、頭の自由自在な働きを可能にするのである。
 人間の五官や感性を養うのにも、早起き生活が大いに役に立つ。人間の発生学的に大脳と最も近い関係にある皮膚感覚を、早朝のフレッシュな空気に触れさせ、刺激を与えると、目、耳、口、鼻といった感覚器官を敏感にし、大脳の感情をつかさどる部分を豊かに発達させ、感覚を磨き、感性を豊かにすることにつながるのだ。
 この点、大脳生理学の専門家によれば、人間が誰でも年を取ると自然に早起きになるのは、肉体的にも精神的にも衰えてきたことから生じる、身体の自己防衛作用の働きによるものだという。
 それならば、若い人たちが朝早く起きることで大脳に少し刺激を与えてやれば、大脳は人間に備わった自然治癒力をより活性化させることになる。すなわち、生命のリズムもまた、朝早く起きることで、その活動を活発化させることができるということなのだ。
 さらに、早起き生活で貴重なことの一つは、時間がたっぷりあるから余裕を持てるということで、人間の精神に奥深い落ち着きを与えてくれる効果がある。
 世の中で駄目な人間といわれるのは、その場限りで物を考えたり、行ったりするタイプである。朝ぎりぎりで起きて勉強をしたり、仕事をしたりという行動パターンでは、どうしても先のことを見ていないということにならざるを得ない。遅寝遅起きの人にありがちな失敗は、余裕のなさが大きな原因である。精神の落ち着きや先を見る先見性など、持てるわけがないのである。
 早起きをする人は、そこが違う。優れた企業の経営者などは、経営の先の先まで読み取る重要な時間として、早朝の時間を活用している。壮大でかつ綿密な先見性を身につけるには、真の余裕というものを持つことのできる早朝が最適だからだ。
 目覚めて気合よく起きれば、気持ちは昨日という後ろを向くことはない。集中的に前を向くようにできている。だから、誰もが早起き生活を持続していれば、おのずから先見力も磨かれてくるのである。
 早朝という時間は、誰にもじゃまをされない上に、毎日確保することができる。しかも、多くの人が過ごしてしまう夜の酒やテレビという時間を朝に振り替えれば、集中できる状態で勉強や仕事に注げるのだ。
 実践すれば気づくこと。早朝ほど集中力が継続し、勉強などの成果が上がる時はまずない。朝二~三時間早く活動し始めると一日が凝縮され、充実したものになる。自分にとって無駄な時間がなくなるのである。
 仕事のための勉強に限らずとも、健康のためのスポーツ、趣味や教養のためのサークル活動に活用してもいい。例えば、目覚めてすぐに軽い散歩や体操を行えば、大脳に快い刺激を与え、脳は活発に動き始めることにもなる。これが本当に身につけば、一日の脳の活動時間もずっと長くなり、二十四時間をかなり有効に使えるようになるのは当然だ。





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■読書で脳細胞を刺激する1 [頭を鍛える]

[本]尊重したい脳細胞の要求
 人間は一日ざっと、八時間くらい眠る人が多いようだから、生涯の三分の一は床の中という計算になる。睡眠に費やす時間がもったいないからと、省略するわけにもいかなければ、まとめてすます寝だめもできない。
 人間は、人生の三分の一を、眠りに当てなければならないようにできているのである。 それはなぜかといえば、まさか人間を使って試してみるわけにはいかないが、小犬を眠らせない実験をすると、脳細胞は一週間もすると壊れ始める。
 つまり、脳細胞は鋭敏な代わりに、すこぶる疲れやすいものなのである。人間は脳細胞の疲労回復のために、眠るわけだ。
 「ああ、眠くなった」というのは、脳細胞が「もう疲れました」と危険信号を発しているものと思っていいだろう。
 よく「眠れない、眠れない」と、こぼしている人があるが、脳細胞は疲労がぎりぎりのところまでくると、必ず休息、すなわち睡眠を要求する。極論すれば、眠くない人は、眠る必要がないのだといってもよいくらいである。
 いずれにしても、脳細胞の要求は尊重したいものである。
 というのは、脳細胞は百四十億から百五十億あり、その中の四億個がものを考える作業をする細胞であるが、これら脳細胞の成長は十八歳から二十歳までがピークで、その後は減りこそすれ決して増えることはない上に、一度壊れたら最後、いくら養生しても埋め合わせのきかない貴重なものだからである。
 手足の皮膚の細胞などは、少々の切り傷、擦り傷ではびくともしないが、脳細胞はちょっとわけが違う。眠りによって脳細胞を休ませる必要は、誰もが拒めない義務のようなものであるわけだ。
 この脳については、すでにギリシャ時代、医学の祖ヒポクラテスが、次のように書き残している。
 「人間は脳によってのみ、歓びも、楽しみも、笑いも、冗談も、はたまた、嘆きも、苦しみも、悲しみも、涙の出ることも知らねばならない。特に我々は、脳あるがゆえに、思考し、見聞きし、美醜を知り、善悪を判断し、快不快を覚えるのである」。
 現代の日本の脳生理学者は、「脳が人間のすべてであり、高度に分化発達した大脳皮質である新皮質のすべてが人間性の根源である」といい切っている。右脳と左脳の役割分析も、注目されているところだ。
 私は脳も体の一部分で、人間は脳とすべての器官を使って考えているという見解に立つにしろ、精神と心の問題は、脳の働きと切り離すことができない。「気」によって、健康が大きく左右されることは、日常体験していることであるが、肉体に生じる「気」が湧きいずる座の一つは、大脳辺縁系にあり、精神と肉体のバックボーンになっているのである。
 人間の若さは、大脳に集約されて表れるといっていい。脚が衰えると長生きできないといわれるのも、足の筋肉から大脳へゆく信号が減り、弱くなるためである。歩く時には足の筋肉が働いているので、その中にある感覚器の筋紡錘からは、しきりに信号が出て大脳へ。大脳は感覚器から網様体経由でくる信号が多いほどよく働き、意識は高まって、頭ははっきりするようにできている。
 しかし、脳細胞を老化させるのは足などの筋力低下だけではない。精神生活でストレスや不安が続いたり、気疲れしたりすると、大脳に強いダメージを与える危険がある。
 逆に、喜びの心、たくましく生き続けようとする盛んな意欲などは、大脳の若さを保つ特効薬である。
[本]読書で頭脳を明晰に保つ
 そして、決して枯れることがない知識欲を満たす読書、それによる感銘などは、確実に若さをよみがえらせてくれる原動力になる。
 本に夢中になりすぎて、悪い姿勢を続け、体調を崩すのは感心しないが、誰もが余裕があるなら、せめて一日に一、二時間ぐらい心の糧となるような書をひもとく時間を持ちたいものである。
 人間は年を取るにつれ、つまらない雑用がやたらと多くなる。読むものは新聞、せいぜい週刊誌程度である。よほど向上心の強い努力家でない限り、研究書や新刊書の読破、あるいは古典の世界を散策するなどのことは不可能に近い。
 だいたい、年を取るにつれて知識欲も薄れ、求知心に乏しいのであるから、吸収される知識はきわめて微量でしかない。
 これでは大脳を刺激する適量にも達しないのであり、脳の血流の貧困から脳軟化症をわざわざこしらえているようなもので、忘却現象が加速度を駆って起きるのは当たり前である。
 現実はかくのごとくであるから、特に老人は努めて客観の世界を風化させないよう努力する必要がある。それには若い人に交わったり、読書などで新知識を求めることを怠らぬことである。それこそ頭脳を明晰に保つ方法なのである。
 定年退職した人の場合などは、余裕のできた時間を活用して、読書の趣味を持つことで、今までの仕事だけが生きがいだという、狭い価値観を作り替えることもできるはずである。
 老年や壮年ばかりでなく、若者も心掛けて、読書などで頭の訓練もうんとやっておくべきであるし、肉体の訓練のほうも怠ってはならない。頭と体の練磨が、人間性の「培根」につながるからである。
 培根とは根を培(つちか)うと書くのであり、すべて物事には根があり、根源の問題がある。例えば、人間の体をはじめとして、命には命の根があるというようにである。
 人間は、常に物事の根源は何かを探究すると同時に、その根本を培い、養うことが大切である。根本をおろそかにして、結果のみをむさぼれば、万事は労して功なく、そのために多大な損失を招き、ついには命取りになりかねない。だから、根の力が充実するほど、物事は発展し、生長し、繁栄するという自然法則に従って、学習に、健康に、あるいは事業に、決断に努力すべきである。
 言い換えれば、培根とは天に通ずる感覚力の培養である。この培根を忘れた企業は、必ず弱体化する。これを人間に当てはめれば、若いうちにせっせと根を培い、修行しておくべきだということになる。山登りでも、スポーツでも何でもよい。つらいと感じること、苦しいと思うことをやり抜いて、自分に記録を作っておくことが肝要だ。生涯のうちどれほどプラスになるか。そういう体験なくして青春を過ごすことは賢明ではない。
 むしろ進んで苦しい体験をしておくべきだと思う。老後の健康生活のために、若いうちにしておいた苦しい体験は必ず役に立つ。
[本]いつかわかることとの出合い
 独り肉体の経験だけでなく、読書などで頭の訓練もうんとやるべきだ。ことに吸収力の強い十代、二十代は、何でも広く取り込んでおくのがよい。乱読で少々雑学に流れても、いろいろ色彩豊かに吸収しておくがよい。
 乱読や多読は、ともかく量を読むことを第一にしているといってよいだろう。一方、精読、熟読は、はじめから終わりまで、一字一句ゆるがせにせずに読んでこそ、著者の考え方が理解できるという考え方に立っている。
 その一つの乱読は、知的好奇心から始まる。好奇心を持って読んだ本は、たとえ乱読といえども情報として脳に記憶される。そして、それが新たな好奇心を呼び起こし、人間は欲求を満たすべく、さらに多くの本を読もうと、自然に効率的な読書法を身につけていくのである。
 特に若い人は、いつか真理がわかるその日のために、前もって多くの本を手当たり次第に、読んでおくことが大切ではないかと思う。
 読書の対象を広く持ち、あれもこれもと、あらゆる分野の本に手を広げてみると、よほど性に合わないものでない限り、興味が湧き、知識が深まり、さまざまな発想も得られるはずである。
 また、いつかわかるために一生懸命、突き詰めて読書し、考えておくことも大切だ。そうすれば必ず、わかるタイミングが向こうからやってくるのではないだろうか。
 本というものは、少年少女の頃はじめて読んだ時には全然意味がわからなくても、空暗記して、お経のように、口ずさむことができるようになると、次第に、意味がわかってくるものだ。「読書百遍意自ら通ず」とはよくいったもので、まさにその通りである。
 こうした乱読、精読を通じて、若いうちにしておいた読書体験は、必ず役に立つ。日頃から幅広く、あるいは突き詰めて本を読んでおくと、思わぬ時に、思わぬ形で、目先の障壁を突破する視座を与えられるものなのである。若い時は二度ないからこそ、若いうちでなければできない貴重な体験をしておくべきだ。
 要は読む習慣をつけることが大切なのであり、それが自己啓発につながると、必ず将来役に立つ時がくる。大きく伸びるためにはぜひ必要である。
 こうした読書習慣を通じて、大きく伸びた人物の一人として、ナポレオンがいる。ナポレオンの睡眠時間がたった四時間だけだったという話は有名であるが、後の二十時間、彼はひたすら読書をしていたのである。
 政治力、戦略、軍事力、指導力をはじめ、人格すらも、独特の読書法から培われたといわれている。彼はその自分の頭脳に基づいて、大帝国を築いたのであった。
 イマジネーションが頭に目覚ましい影響を与えることは、周知の通りである。イマジネーションというものは、右脳がまず働き、次にそれが左脳をリードすることによって生まれ、創造力につながっていくのである。そして、この両者の機能を意識的に使い分け、想像力を磨く訓練をすれば、右脳を含めた脳の機能全体の活性化につながっていくのである。
 つまり、読書を通してイマジネーションを働かせることが、思考力を養い、頭をよくするということである。
 空想や夢想といったものは、現実的な力にはならないと思いがちだが、これこそ創造の源泉であり、優れた発想のためには必要不可欠なものなのである。そのためには、読みながら考えることが大切である。
[本]通勤電車の書斎化の勧め
 時間に比較的余裕がある学生などと違って、社会人や主婦などの中には、読書に振り向ける時間がないという人も多いだろう。
 しかし、社会人の場合は、どうしてもある程度は本を読む必要がある。今日のように日本経済を動かす要因や企業成長の要因が複雑であって、それを理解するには膨大な知識や情報が必要な時には、何としても本を読む時間を見いださなくてはならないだろう。
 「忙しいので時間がない」というのは言い訳であって、読書の意欲さえあれば自然に時間を発見できるものだ。
 そこで、確実に本が読めるように、日常生活の中で必ず行うことの中に、読書を組み込むことはできないだろうか。可能ならば、必ず読書の習慣が身につくはずである。要するに、習慣化する工夫が必要なのだ。
 毎朝、早起きをして、社会人なら出勤する前、主婦なら家事をする前に三十分でも、一時間でも読書をすることが最もお勧めだが、通勤時間を活用して本を読む時間を生み出すのもよい方法である。
 今、大都市を中心に通勤に使われる時間は年々長くなっている。片道三時間以上かかる距離を通勤している人もいるようだが、片道一時間半はもはや普通のこととなっている。往復三時間、一日の八分の一もが、毎日の行き帰りに費やされているわけだ。
 このように相当の時間を通勤にとられざるを得ないとすると、問題は当然、その時間をどのように有効に活用するかにかかってくるだろう。
 電車やバスの中で本や新聞や雑誌を読むことを、すでに実行している人もかなりいるはずだが、工夫次第で、もっと徹底した通勤時間の読書活用法も考えられる。
 まず、朝早く起きる習慣をつけて、一時間ぐらい自主的に出勤時間を早めて自宅を出ると、新聞さえ広げられないラッシュ前のすいた電車やバスに乗れるから、座席に座ってゆったり読書できる時間を中心に、一日のスケジュールを組み替えることができる。
 今やエレクトロニクス技術の発達で、パソコンやビデオなどが一般に普及している時代である。どうしても見たい夜間のテレビ番組などはビデオに録画して、暇な時間に見るのが無駄がなく便利である。ハイテク機器は有効に使うべきで、眠いのを我慢して、深夜までテレビに付き合う必要はないから、やる気があるなら早起きはできるだろう。
 次に、このようにして朝の電車やバスの座席を確保できたら、貴重な通勤時間の利用法を前もって決めておくのである。この時間こそ自分だけのために使える時間だから、思い切り自分の好きなことをすればいい。
 読書に意欲がある人なら、往復二、三時間の通勤電車内を動く書斎にして、せっせと励めるはずである。すいた車内で、座席を確保できるから、本の欄外に感想などを書いておくこともできる。
 机に向かわないと読書意欲が湧かないという人や、他人の存在が気になって読書に集中できないという人は、まず一日五分頑張ってみる。そして、十五分、三十分、一時間と徐々に目標を伸ばしていく。それが、電車やバスの中で、自然に読書に集中できる道である。
 通勤電車などが落ち着ける空間になったら、しめたものである。ゆっくり本を読めるようになれば、通勤電車の書斎化に成功したことになる。毎朝、電車やバスに乗る際は、読みたい本の一、二冊は持っていくことを習慣にすればいい。
 もちろん、読書ばかりでなく、仕事中心の人ならば、電車内で今日の計画を立案したり、明日の計画を考えるのもよい。アイデア開発に興味のある人ならば、カード片手にアイデアや創造性開発を研究するのもよい。囲碁や将棋の好きな人ならば、ゆったりと定石集を読んで勉強するのが楽しみとなるだろう。
 また、もっぱら英会話など語学の勉強をするのもいい。今は小型のカセットテープレコーダーやウォークマンがあるから、超満員の電車では、手を動かさなくてすむ会話の学習に最適だろう。
 このように通勤時間を利用して、人にはまねのできない大きな仕事をしている人はたくさんいる。彼らは、通勤の時間をただボンヤリしていたり、スポーツ新聞を読むことなどに費やさないで、電車やバスの中を自分専用の移動書斎、移動研究室にして、もっと有意義なことに計画的に活用しているのである。
 新聞などは朝食の時にさっと目を通すだけにして、乗り物の中では、読書をしたり、計画を立てるとか、工夫を凝らすといった創造的なことに専念する。詳しく新聞を読むのは、頭の疲れた帰りの電車の中にするといった工夫こそ、通勤時間を有効に使う方法なのである。
 朝は、すいた電車の中でゆっくりと本を読んだりして会社に着けば、始業までなおたっぷり時間の余裕があるので、一仕事も二仕事もできるだろう。普通の仕事に使わず、創造的な思考の時間に当てるのも一案である。





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■読書で脳細胞を刺激する2 [頭を鍛える]

[本]自分流の読書時間を作り出す工夫を
 朝の自宅や朝夕の通勤電車内に限らずとも、工夫すれば、もっと多く読む時間を作ることもできる。一般に、「最も多く本を読む人は、大抵最も多忙な人だ」などといわれている通り、読書家はいろいろと工夫をして、時間を作り出しているのである。誰もが、これにならうことができるはずである。
 一つ目は、読みたいと思っている本を、常によく目につくところに置くこと。机の上や寝室の電気スタンドのもとに、いつも本を置いておく。台所や電話台、浴室やトイレなどにも、しっかりした読み物を置いておくといい。つまらない雑誌類に目を通すよりも、ちゃんとした本を読んだほうが、どれだけ将来の飛躍のためになるかわからない。
 さらに、訪問先で待たされる場合や、医者や歯医者や床屋や美容院などで順番を待つ時間に読むために、適当な本を常に用意しておく工夫もできる。車の修理とか、駐車している時間に読めるように、自家用車の中に、本を備えておくのもいい。
 たとえ五分という短い時間であっても、本を読むことに当てるならば、わずかな時間が積もり積もって大きくなるのである。
 以上は時間に追われた人のための苦肉の策であるが、いうまでもなく、ゆったりした読書の時間がとれれば、それに勝ることはない。
 私は早寝早起きで早朝に読書することを勧めたいが、人によって環境も生活スタイルも違うし、朝型の人、夜型の人というように体質も違うので、それぞれ自分に合った読書法があるに違いない。
 例えば、勤め人が残業して帰宅した後、九時から十一時までを読書時間とするというのが自分に最も合っていると考えれば、もちろんそれでもよいだろう。
 仕事で疲れて帰ってきた後で読書するのは苦痛に決まっているから、その苦痛に耐えて体を慣らすのには、かなりの期間の苦しい生活があるはず。この苦しさにどのように耐え抜くかという工夫が、大事なのである。
 その習慣に体を慣らすためには半年ぐらいはかかるし、この期間中は疲労との闘いに精神力が奪われてしまうので、読んだ内容はほとんど頭に入らないかもしれない。しかし、この期間をすぎれば、まだ抵抗感はあるものの、自然に軌道に乗り、一年も続ければ、苦痛どころか読書の楽しみが湧き、内容がどんどん理解できるようになる。
 これは読書が習慣化して、呼吸するのと同じように、一種の生理的な行動になったと見てよいだろう。一度そうなると、今度は机の前に座って本を広げなければ落ち着けないようになる。大げさにいえば、毎夜の習慣が何かの事情で妨げられると、体のリズムが狂うような気にすらなる。
 「いや、仕事で疲れ切って帰った後では、とても勉強できない」と信じ込むのでは、「人生における挑戦をあきらめて安易な道をたどっている」といわれても仕方ない。
 「一般のサラリーマンにとっては、学者と違ってゆっくり読書する暇もないし、むずかしい本などなかなか読めるものではない。仕事をみっちりやって肩が凝り、疲れているのだから、がらりと調子を変えなくては、とても堅い本を読むなどという気分になれるものではない」という人は、机に向かって読書するのではなく、リラックスできる場所で、楽な姿勢で本を読んではどうだろうか。
 生活のリズムを完全に変え、リラックスすることができるという意味では、風呂場は最もふさわしい場所といえるし、寝床も適している。
[本]読書の成果を身につけるには
 次は、工夫して時間を作り出し、読書に当てた成果を確実に身につける方法である。
 単行本にしろ、新聞や雑誌にしろ、ただ読んだり、読んで赤線を引くだけでは、その情報や知識はなかなか自分のものにはならない。それらをしっかりと身につけてしまうのに最適と思われる方法は、読んだことを口に出して話してみることである。
 特に効果的なのは、読んだ本の概要を翌日、人前で話すことだ。復習ができ、重要なことは頭の中にしっかりと刻み込まれる。また、人からの質問や批判があって、それに十分に答えられなければ、自分がいかにあやふやにしか理解していなかったかがよくわかる。その点をもう一度読み返してみれば、さらにはっきりと理解でき、忘れないものだ。
 そうしたことを繰り返していると、本を読む時にも、後で他人に要約して話せるようにということを意識して、考えながら読むという習慣ができてくる。一章を読み終えたら、その要約を考えたり、あるいはページごとに余白に一、二行要点をメモしたり、といった自分なりの方法が身についてくる。実は、こういった習慣が読書の成果を自分のものとする、最も重要なポイントだと思われる。
 もう一歩進めて、読んだ本の要約や自分の感想、意見を文章にまとめてみるという方法は、読書を自分のものにするという意味では最も効果が高いだろう。
 書くことについて少し話を広げると、読んだ本についてのみならず、自分の考えを文章にしてみることは、頭を鍛えるという点で非常に重要な意味を持っているものである。
 口でしゃべっている時には、少しぐらい論理を飛び越しても気がつかないものだが、文章にしてみると、前と後ろが全く結びついていなかったり、論理が矛盾したりしていることがはっきりして、自分の考えがいかに整理されていないかを嫌というほど思い知らされるものだ。
 文章にするということは、つじつまを合わせる技能を身につけるために、ぜひとも必要である。
 人にある種の感動を与え、人を動かすには、説得力が要求されるものであり、その説得力の第一のポイントは、つじつまが合っていること、すなわち、論理的に首尾一貫していることである。その首尾一貫性が、話し手の信念となり、迫力を生むのである。そのためにも、書くという作業はなかなかに苦しく、大変な努力を要するのも確かだが、ぜひ自分の考えを文章化する習慣をつけたいものだ。
 文章化する場合も、一冊と限らず、関連する書物数冊を合わせて一つの文章にまとめるとなると、ちょっとした研究レポートの色彩を帯びてきて、内容の理解は大幅に広がり、深まるものである。
 だが現実には、仕事に必要なテーマを与えられでもしない限り、自主的にこういう努力をするのは至難の業であろう。やれば必ず効果がある方法とはいえど、少し負担が大きすぎるので、すべての人に勧めるというわけにはいかないように思える。
 誰にとっても現実的な方法で、文章化する力を身につけるためには、メモや日記などのごく個人的な記述から手掛けるのがよいだろう。人に提出するレポートではないので、起承転結の整った文章である必要はない。
 もちろん、文章は上手なのに越したことはないが、ここでいう書くという作業は、自分の考えを紙の上で整理するためのものであって、取り立てて文章の上手下手を問題にしようとは思わない。まず、何よりも自分の考えを正確に、きちんと整理する力を身につけることであり、文章の味わいとか文章力はその次の問題である。
 そこで、個条書き程度でよいから、自分の考えや感じたこと、読んだ本の内容などを毎日メモすることだ。
 この程度のことでも、最初はかなり苦痛を感じることだろう。しかし、読書と同じように、これも半年も続ければ習慣になる。そうなればどうということもない。文章を書くことは、言葉を覚えると同時に、漢字を覚える一石二鳥の効果もあるのだ。
[本]新聞や雑誌をうまく活用するコツ
 読書に関連して、新聞もまた誰にとっても身近な活字情報であり、ビジネスマンには重要な情報源である。
 ビジネスマンが接する新聞は、各地域によって多少は異なるだろうが、朝日、読売、毎日などの中央紙とブロック紙や地方紙、業界紙などいくつかの種類に分けられる。
 日本で発行されている日刊新聞は約百三十紙、当然のことながら、全部に目を通すなどということはできるはずがない。だが、一般のビジネスマンであれば、中央紙を二紙購読すれば十分である。一紙はいわゆる一般紙、もう一紙は日経などの経済紙である。
 特定の地域に関係のある仕事をしている時や、その地域に関心のある時は、地方紙を取り寄せるのが早い。中央紙ではコラム程度でしか扱われないような記事でも、地元紙はかなり詳細に報道しているものである。地方紙は、即日とはいかなくても、遠隔地からでも定期購読することができる。
 次に、そういった新聞記事で報ぜられる膨大な情報を、自分の中に体系化して理解するためには、経済専門誌や総合雑誌が助けになるだろう。
 総合雑誌などは、私たちには毎日の断片的な情報でしかなかったものを見事に体系化してあるので、非常に読みやすいし、消化しやすい。ある事件について書いてある論文を二、三読むと、その事件に対する見方を学び取ることができる。
 新聞を読まないと時代に遅れるとか、テレビニュースを見ないと新鮮な話題に欠けるという不安に駆られる人がいるものだが、それらを整理する自分なりの視覚を持たないと、単なる雑然とした情報の集積にすぎず、自分の頭を鍛える上ではあまり役に立たないものである。
 そういう意味で、特に若いうちは、新聞の雑多な情報を整理するために、雑誌の総括的な論文を参考にするとよいだろう。
 しかし、新聞と同様、雑誌のほうも選択に迷うほど各種出されている。日本では現在、百種にもおよぶ週刊誌と月刊誌が発行され、書店の店頭に並べられている。このような多種多様の雑誌の中から、何が自分にとって有益な情報かを選び出すのは、それだけで一苦労という人もいよう。
 それらの雑誌をすべて定期購読するのは、金銭的にも、時間的にも不可能である。では、これらを安く、要領よく読んで新鮮な情報を得るには、どうしたらいいだろうか。
 主な雑誌は、発行日ごとに車内づり広告や新聞広告を出す。これを見逃さないことである。特に新聞広告には比較的詳しい内容が凝集される。広告を読み、興味を引く記事があったら、購入すればいいだろう。一般分野について、日常の会話や雑談に活用する話題に、不足しない程度の情報は、これで手に入る。
 また、最近は若い女性が多大な購買力を持ち、社会現象としても時代をリードしているというが、女性誌に目を通して、若い女性が何に引かれ、何を考えているかを知るのは、非常に有益となる。
 女性誌には、他の世代にも応用できる、さまざまな商品やサービスの記事、広告があふれていて、時として参考になるものが多い。もちろん、男性にとっての話である。
 各種のPR誌も、情報源としてはなかなか有効である。大部分は無料か、せいぜい郵送料ぐらいで手に入るのもありがたい。そこで、関心のある分野のものを、いくつか定期購読することを勧めたい。PR誌には、意外な情報やデータが澄ました顔をして載っているものだ。





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