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■女の器量を磨く2 [女の器量を磨く]





[わーい(嬉しい顔)]美人ではないが美しい人
●醜い心が人間本来の美をゆがめてしまう
 本来、宇宙天地大自然は大芸術世界で、そこに存在する万物、万有はみな美しい。自然は美しいという原則、真理の上に成り立つから、私たち人間も美を好み、自らも美しからんとすることは当然である。
 すなわち、「魅力的な顔になりたい」、「恵まれた容姿になりたい」などと望むことは、当然なのである。
 古今東西の芸術を眺めてみると、人間の体や顔など、人間を対象として作られた彫刻、絵画はまことに多い。それらの芸術作品に比べて、人間そのものが必ずしも美しくないということは、どういうことであろうか。
 すべての人間の相貌が繊妍窈窕(せんけんようちょう)たる美人とか、たくましい男性美などという、最高の美を持っているわけではないというのは、どういうわけであろうか。
 人間誰もが、生まれたばかりの赤ん坊の時はみなかわいい。この禅宗でいう「本来清明」なる生命の本質そのものを一生涯持ち続けていけば、植物が苗木の成長も愛らしく、開花も美しく、素晴らしい結実によって利益を上げ、枯れるまでその価値をたたえ続けるのと同じように、人間も死ぬまで美しく、健康で、幸福であり得る。
 ところが、俗に「鬼も十八」というように、十七、八の年頃は器量にかかわりなく誰でも、その人なりに美しく見えるというのに、なぜ娘盛りが鬼婆(おにばば)になるかというところに、逆の不思議がある。
 鬼とか、魔物とか、亡霊とかいうものは、人間世界にだけあって、大自然世界にはないものである。偽りも、悪も、醜も、苦も、憎しみも自然界にはない。人間のみにある。
 どこにある。それは心にある。人間は体より心を大切にしているが、実は精神作用と心とを混同して、我がまま勝手な、自分本位な自我性の心という、横着きわまる意識作用を作り、覚えてしまってから、鬼や邪(よこしま)を体の中に住まわしてしまうようになったのである。
 邪心、悪心、横着心、我がまま心、勝手気ままな性格などというものは、現代ではもう八歳、十歳頃から習い覚える。成長するにつれて、家庭や社会という環境から、さまざまな社会性の意識、知識も覚え、身につけていく。
 今の子供の中には、中学生ともなると、ちまたに渦を巻いて待ち構えている情報に汚染されて、いっぱしの大人のような顔付きをしている子供もいる。
 社会で生活するためには、社会性の意識、知識というものは全く持たないで過ごすわけにもゆかないが、そうこうしているうちに本来清明なる人間の本質的な生命が、次第に濁り、隠れてしまって、後天的、二次的な心が幅をきかせてしまう。
 だが、肉体が成長する段階では、自然の力のほうが強いため、結婚期ぐらいまでは醜くならずに、美しい格好でいられる。
 この頃すでに、心の中ではどんどん悪い根がはびこっている。社会的に生きていく上で覚えた人間の醜い心というものが、若者の成長の途中で、顔を険悪な相形に変え、体をゆがめてしまうのである。
 心が作る肉体の変化は恐ろしい。人が成人して職業に就き、世帯を持ち、食わんがために目の色を変えて欲をかき、感情を高めたり抑えたり、苦しみ悩んでいると、その心が肉体に影響して健康を害し、どんどん容色を衰えさせ、醜いものになってゆく。
 結局、人間に、つまらない心や意識が生ずるために、顔や肉体が必ずしも美しく育ち上がらず、大芸術世界の子たるにふさわしくない人間を、自らがつくってしまうのである。
●器量よしの根本は最高度の健康にある
 そこで、女性の場合は年頃になると、美しくありたいと願って化粧をする。青白い、病みほうけたような、不幸な顔に、白粉や紅やいろいろのものを塗りつけ、せめて外観だけでも美しく見せようと苦心惨憺(さんたん)、これに憂き身をやつすのである。
 現代、格好のよさだの、おしゃれだのという言葉が当然のように使われて、男の高校生の多くがドライヤーを持ち、朝の化粧に三十分以上費やす者もいるという。昨今、男の化粧品が大変な売れ方だともいう。茶髪と称して、日本人本来の黒髪を茶色や黄色や金色に染めている若者も目立つ。
 女性も男性も、化粧など、うそ、偽りをやめて、真の美しさ、本当の器量を発揮するよう努めるべきだ。まずは、自分自身の本当の美しさ、真の価値はどこにあるかと考えてみよう。そこから、真の美と幸福とが成り立ってゆくのである。
 人間が一生涯、その時々に応じての真の美を満喫したければ、常に最高度の健康を保持するのが最もよい。十分に睡眠が足りて、心の平らかな、健康そのもののような朝は、気分がよいのみか、自己の顔にほれぼれするような頼もしさを感ずるはずである。美の根源は、睡眠にあり、健康にある。
 植物を美しく栽培するには、日光、温度、水、空気、土など、みな自然の力を適当にしてやればよい。栄養、肥料は、空気や水の中にある。光合成をする。
 人間は闇(やみ)合成とでもいうか、夜の暗さの中で休養中、何が自然に合成されているか。眠りの中で、ただ無為、無努力で疲れのすべてが解消してゆく、昼間働いて体験したり、本を読んで知識を得たことが夜、しっかり休養中に熟して、自己の脳裏に定着する、という自然の仕組みを知る人がいない。
 寝る子は、よく育つ。落ち着きのある人には、知恵がある。静かな中から出た働きでなくては、いたずらに妄想、動揺するばかりである。
 真の器量よしの根本、真の美の根本、魅力的な顔の根本は、睡眠にあり、健康にあり、肉体にある。体の中から本質的に美が発動してくれば、心は健となり幸となる。血色はよくなり、喜色がみなぎり、能力が出る。健が賢に通じ、康が幸となる。
 人間が万物の霊長であるならば、人間に真の知恵があるならば、この美の根源を知って、自己の肉体から真の美しさを発揮せねばならぬ。
 上辺だけの化粧も、人間の知恵、工夫には相違ない。しかしながら、これは付け足り、付け足しである。人に見せるサービスにはなるかもしれぬが、自分自身には損にこそなれ、一文の得にもならない。
 人間誰もが、人生をいかに美しく生き抜くべきか。服装ではないが、外見にも、内容にもである。第一が健康、肉体の条件からである。
 人間の意識でわからないことがある。それは肉体が知る。人間の生命は、肉体という入れ物あってのこと。その入れ物は、心という悪者を追放して純粋になった、真なる肉体である。宇宙大自然の法則によって生かされている、肉体そのものである。
 この肉体が、素晴らしい本能の力を発揮すると、その肉体から汲(く)めども尽きない知恵と力が、こんこんと湧(わ)き出てくるのである。女性の場合は、その真の美しさが、その肉体ににじみ出て、艶々しく、生き生きとしてくるだろう。
 どこか理知的ではあるが、険のない優しさにあふれてくる。俗にいう白痴美ではなく、真の器量よしというものである。
 この化粧や服装、装身具、持ち物、食べ物、遊びなどからの美でなく、真なる肉体から発する真の美しさ、真の器量は、睡眠、健康によって得られるのであるから、こんな自然な、楽な〃美身〃術、〃健幸〃法はない。
●美人ではないけれども美しい真善美楽の人
 真の器量よし、真の美容を心掛ける女性たちのために特記するなら、観音様を一つのイメージにしたらどうだろう。「観音様のような人」といえば、本当に女性的な、優しく、奥ゆかしい人を連想する。
 観音様は「観音菩薩(ぼさつ)」、「観世音菩薩」ともいい、般若心経(はんにゃしんぎょう)では「観自在菩薩」として、お経の最初に出てくる人である。
 人といったのは、観音様は観音菩薩であり、菩薩はすべて男性であるといわれるが、しかし、観音様のお姿、顔形は、女性の様相で作られているからである。やはり、私たちが観音様を拝観して、女性の理想像としてあこがれ、あがめてもよいと思うのである。
 ところで反対に、「般若のような人」といえば、恐ろしい形相をした怨霊(おんりょう)の面を思い出す。また、「外面如菩薩、内心如夜叉(やしゃ)」という言葉もある。表面は菩薩のように優しく見えるが、心の中は鬼のように恐ろしい、というのである。
 般若心経というと、その般若を思い出す人もあろうが、般若というのは本当の知恵、すなわち真理のことをいうのであり、恐ろしいどころか、尊い、立派な言葉なのである。
 観音様は、年を取らない。顔は艶々していて、シワが寄らない。人間は年を取るにつれて、顔にシワができる。しかし、その自然にできるシワは、浅くて、美しいものである。
 深いシワは、醜い。それは何か大きな心配事などがあって、心の圧力によってできるのである。自然でない、圧力が加えられてできるシワは、深く、醜く、不愉快な印象を与える。
 女性は化粧をする。いろいろな化粧品が出回って、女性を追い掛けている。化粧とは、もともと化けた粧(よそお)いである。
 だから、無礼を承知でいえば、化けの皮をかぶって、平気で街を歩いているわけである。深いシワを埋めようとして、厚化粧をする。ますます醜く、おかしな顔になっているのに気づかない女性がいる。
 自然の身だしなみ、というものは大切である。お化粧をするにしても、さりげない薄化粧に値打ちがある。自然の美しさがある。色彩と光沢のバランスを考慮して、品のよい化粧をしてもらいたい。
 服装についても同様である。けばけばしい、変わった服装など、自分は満足し、誇りに思っているかもしれないが、おかしいものである。
 さりげない化粧と、さりげない身だしなみ、身のこなし方は、女性を美しくする。
 何よりも健康的な色艶がよい。観音様のような美しさがほしい。心掛け次第で、観音様のような素晴らしい相貌にもなる。「顔形が、見るからにいい人だな」、というふうに見えるようにも育ってゆく。
 まず女性というものは、観音様を一つのイメージにして自ら育つこと、そして、子供を育てること。
 人間の心というものは、すでに作られたもので、我がまま勝手なことをいう。その心で子供を育てると失敗が多い。真理の真で育てる。それが子供を育てる秘訣であり、家庭を持つ秘訣でもある。
 世の中を渡る透視の玉。観音様は、そういうみたまを持っているのである。観音様からそのみたまを借りて、自分の頭の中にしっかりと刻み込んでおくか、おなかにそれをしっかりと畳み込んでおくか。
 そうして自分が観音様のような女性に育ってゆく。嫌なこと、悪いことなどを思わなければ、顔はだんだん観音様に似てゆくのである。
 女性は観自在菩薩のような、優しい、素直な、美しい女性になることが、何にしても一番自分の運命をよくする秘訣である。あまり腹を立てない、感情を起こさない、つまらないことを考えて欲を起こさない。悪口をいったりもしないこと。
 観自在菩薩は、ほほ笑みながら何もいわれない。一切を感覚で受けて、心を用いるようなことがない。それが般若心経の心の道。般若の知恵が心に教えてくれる、心のお経なのである。
 般若の知恵を身につけた真善美楽の人は、ただ居ても真の人であり、生きている姿が善なる人であり、さらに美しい。それは容貌が美しいだけでなく、心も美しい。行為、行動すべて、存在そのものが美しい。
 世の中には、美人ではないけれども、美しい人はずいぶんある。その上に楽しい人に至っては、生命の内容がそのまま楽しいのであるから、これは絶対である。




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