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■眠りの知恵5 [健康コラム]





[夜]不眠症を克服するために
●眠くなる潮時に乗ずる
 「中年や独語おどろく冬の坂」。これは西東三鬼氏の句だが、現代社会を生き抜くための複雑な心理の屈折に耐えかねて、眠れない夜の床に思わず漏れる独語は、中年に差しかかる坂道では、ことにおどろおどろしいフィーリングを伴っているようだ。
 眠れない夜が多い不眠症には、大きく分けて二つのタイプがある。一つは生活パターンからくるもの。もう一つは、ある出来事や刺激が精神を動揺させ、眠れなくなる不眠症である。どちらのタイプにしろ、神経の高ぶり、イライラが原因であるから、それを排除しなければならないのは当然である。
 そして、不眠症を克服する一番のコツは、宇宙のリズムにのっとって寝よ、眠くなる潮時に乗じて寝よということに尽きる。
 我々は宇宙から創られた小宇宙ともいわれるもので、宇宙秩序に合うように、人体の自然作用が働くようになっているものである。その自然作用を狂わしているのが、自意識だ。
 この自意識の旺盛な人に限って、睡眠薬を使用しているようである。「決まった手順を踏むとスムーズに寝つかれる」といわれるのも、不眠症が自己意識のせいであることを物語っている。
 人間には、夜になると必ず眠くなる潮時がある。その潮時をはずしてはいけない。潮時に乗じて、夕日の落ち込むイメージのままに、体を投げ出していさえすれば、誰でも熟睡という名の宇宙ドックに入れる。これが眠りの極意である。
 せっかくまぶたが重くなったのに、見たいテレビ番組があるとか、仕事が残っているとかいっては、眠くなった潮時を故意にはずして寝そびれていると、それが習慣性になって、夜の眠りが順調にいかなくなり、不眠症にかかってしまうこともある。
 不眠症になるそもそもの原因は、夜、眠くなった時に、さっと眠らないからだ。現代人は、早死にをするために、不眠症が最も有効な手段であることも知らずに、とかく理屈をつけては夜更かしをし、夜更かしを美徳のように思っている。
 つまり、不眠症などというのは、肉体の自然のリズムの乱れから起こるのだが、そのリズムの乱れが生じるのは、夜になって自然に眠くなる潮時があるのに、素直に従わず、みすみすチャンスを逃がしてしまうことが多いからである。
 肉体には自然のリズムがあるのに、それを自意識で意識的に狂わしてしまうから、今度はなかなか寝つかれなくなる。その繰り返しが、いつしか習慣になって、不眠症という病気に取りつかれてしまうのである。肉体の自然機能に逆らった罰で、不眠症ということになるわけだ。
 眠くなる潮時などというと、いかにも非科学的なことのように聞こえるが、「人間の眠り科学」でも述べたように、動物の脳の中枢からは、自然に眠くなる睡眠物質が分泌されるわけだから、その分泌の時間帯をすぎると、また目がさえてしまうことになるのである。
 眠くてたまらない時には、素直に眠ることが自然の摂理で、そうすれば眠りも自然に深くなり、朝までぐっすり眠れるものである。
●眠りは「気」を養う時
 眠くなるということは天の摂理であり、自然のリズムである。それに背いてばかりいると、眠りに入る時にも、朝の目覚めにも自然作用が起こらず、大変な損をするものである。
 十分に寝足りないまま起きてしまうと、午前中から気力がなくなって、仕事が嫌になったりしてしまう。そうして一日を棒に振ってしまうことが多いのに、「眠るのは人生の無駄だ」などと、暴言を吐く人が多いのだから、さても人間というのは度しがたい存在である。
 「早起きは三文の得」などというが、まだあたりが真っ暗なうちから起きて働くのも考えものである。
 何事にも潮時というものがあり、起床するにもちょうどよい時間がある。夜が白々と明け始めてからでも決して遅くはない。
 人間は体が慣れるにつれ無理がきくようになり、ついには無理が通って道理が引っ込むことになる。これも人生の落とし穴の一つだ。
 目が覚めた時、まだ時間が早すぎたら、体を投げ出して、そのまま夜の状態にしておかねばならない。人間の体の状態には、きちんと昼夜の別が備わっているから、夜中に目が覚めても、自然に任せていれば、必ずまた眠くなるものである。
 何かの拍子で目が覚めても、すぐに意識的にならずに、体を投げ出して次の眠りの訪れを待つがよい。
 まだ、十分眠ってはいないのだから、再び眠りがやってくるはずである。それなのに、意識であれこれ思案することは禁物で、意識を使うと目がさえてしまう。
 年を取って睡眠時間が少なくなったりすると、体が自然に硬くなってくるものである。老人になって、気だけは確かでも、体のほうがいうことをきかなくなるのは、まず眠りが不十分だと思ってよい。毎日わずかずつの睡眠不足が、チリも積もれば山となるように、身体の機能を老化させてしまうのである。
 年寄りになっても、十分に睡眠をとって、身体機能をすっきり整えておけば、恍惚の人になる恐れはないものである。
 老人は眠りが浅いとよくいわれるが、気力が乏しくなると神経が興奮しやすくなって、すぐ目が覚めてしまい、今度はなかなか寝つかれないということになりがちなものだ。
 つまり、養生とは、「気」を養うことが根本なのである。
 貝原益軒の「養生訓」には、「つとめてねぶりをすくなくし、ならひてなれぬれば、おのづからねぶりすくなし。ならひて睡をすくなくすべし」とあるが、これは大変な間違いである。
 養生とは「気」を養うことなのに、飲食や色とともに、眠りを三欲に数えていることは、矛盾、撞着(どうちゃく)もはなはだしいといわねばならない。
●価値ある疲れが快眠を誘う
 さて、人間がよりよく睡眠をとるためには、ある程度の疲労も必要条件である。何もしないで怠惰に一日を空費していたのでは、夜は決して快適な眠りを与えてはくれない。現代人は疲れが翌日のエネルギーへと変わることを知らず、なるべく楽をして体を疲れさせないように心掛け、そのために不眠症で悩んでいる人がたくさんいるのである。
 ただ、その疲れは何でもよいというわけにはいかない。望ましい疲れは、スポーツの後のさわやかな疲れを思い浮かべれば、誰でも思い当たるであろう。
 このさわやかな疲れは、昼間、それぞれの職分において、快適に働いた後に得られるものである。精いっぱい、自己を完全燃焼させて残る疲れであり、それによって自らを高め得た疲れである。こういう価値ある疲労こそ、夜、眠りによって自己を充実させる源泉になるものだから、職業の選択もおろそかにしてはなるまい。
 次には、不眠症解消の初歩的な方法として、適度な運動も勧めたい。散歩、ゴルフ、自転車、水泳、ゲートボール、軽い運動なら何でもいい。適度な運動の後の心地よい疲れが、快眠を誘うだろう。用事がなければ、片付け物でも、草取りでも、何でも結構。
 特に高齢者は、昼間に外へ出て、散歩すること。体にメリハリのあるリズムを設けるべきである。だが、散歩も、物を考えながら歩いたのでは駄目である。ただせっせと、自然の世界を肉体が歩くという方法をとる。
 高齢者についていうと、誰しも年を取ると体の苦情が多く、なかんずく、睡眠がうまくとれないという人が多いもの。大抵の場合、午前二時、三時頃に目が覚めて、なかなか再度の眠りに入りにくいというのと、中にはそのまま目が覚めっぱなしで昼間ボンヤリしたり、あるいは、頭痛とまではいかないでも終日、重苦しい気持ちに閉ざされるという。
 しかし、中には「年寄りは睡眠時間の少ないのは当たり前だ」といって、達観して平気でいたり、平気を装っている人もいる。
 一方、寝つきの悪いという人もあるが、これは比較的に少ないようである。高齢者は寝つきはいいようで、昼でもテレビを見ながら、人の話を聞きながら、コックリ、コックリする者も決して少なくない。
 だから、床に入って寝つきはわずかの補助手段をとると、楽に成功するようである。その意味から、日中、せっせと歩く散歩を勧めるのである。
 こうして七十代の老人も十代の若者も、昼間は仕事や家事や勉強や散歩やスポーツで、目いっぱいに体を働かせて、寝床に入ったら直ちに熟睡のできる習慣を持つことである。眠る気に任せて、疲れたままの体を横たえれば、すぐにぐっすり眠れる。これが熟睡の秘訣である。
 病人の場合はそうはいかないだろうから、マッサージでもしてもらって、よい気持ちになりながらそのまま眠るとか、いろいろ工夫があるはずだ。
●就寝前の食事の工夫
 眠るための工夫として、飲み物、食べ物についても紹介していく。
 世上、寝つきをよくするために、最もよく用いられるのはいわゆる寝酒である。老人の就眠法の大部分はこれで、簡単で便利だが、全く問題がないとはいえない。幸いにして五体が比較的満足で、血圧も上が百四十内外で、下が九十よりさほど高くない程度なら、一応、許容範囲といえるが、百六十~百以上とあっては、結構だとはいえない。胃潰瘍(かいよう)、その他内臓疾患のある人はなおいけない。
 それに、寝酒といっても酒の種類も考慮を要する。なぜかというと、アルコールによって得られる眠りは、生理的な自然睡眠とはいえないからである。
 もちろん、私たちが必要とする眠りは、赤ん坊の眠りと同じく自然睡眠であるが、寄る年波とともに、程度の差こそあれ、中枢神経系統は十分な、ナイーブなというか、オーソドックスな眠りを与えることが困難になってくる。
 そこで、何らかの方法で、睡眠を勝ち取る必要が生じてくるわけだが、自然睡眠をとることは、なかなか難しい。
 アルコールのもたらしてくれるのは麻酔である。寝なければならないためとはいいながら、毎晩の麻酔は考えもの。万一やむを得ないとしても、最小限に食い止めるべきである。
 また、自然睡眠を麻酔とともにもたらす道があれば、人工睡眠としては理想に近いものといえるかもしれない。
 ある東洋医学者によれば、ホップとアルコールの混合物が眠りを誘う目的に用いられるとすれば、単なるアルコールのみの使用に比して優れていることは、理の当然として考えられるという。
 そこで、両者の共存するビールは、単なる睡眠誘発のためなら、比較的無害なものといえるかもしれない。ただし、ビールのホップ含有量は一パーセントにすぎない。酒を全く飲まない私には、当否は弁じがたいが、そのほうに詳しい知人の説によると、寝心地と朝の目覚めはビールが最良だというが、そうかもしれない。
 知人は小瓶一本をもって適量とするといっている。これは我が意を得ている。摂取する水の量が多きに失すれば、心臓に対しても、腎臓に対しても負担となる。
 就寝前は大量の水をとることは避けるべきで、この意味で知人の就寝前ビールの処方は、結構なものだろう。
 食事に関していえば、就寝前に食べたり、食べすぎたりするのは、眠りの妨げになる。眠くなる前に物をたくさん食べると、眠くなる作用はもう奪われてしまう。それだけ胃に負担がかかって、胃の働きが強くなればなるほど、他から出る機能は淡いものになるのである。
 そこで、食事時間を早くするか、夕食を軽めにして朝食の量を増やす配慮をするべきである。また、カルシウム不足は神経がいらつきやすくなるので、小魚類を食べるようにする。
 あまり空腹でも眠れないので、その時は温かい牛乳を飲むといい。食べ物については、残念ながら即効薬的な物はないといわれるが、それでも、牛乳、チーズなどの乳製品は、睡眠を誘う数少ない食べ物の一つといえるだろう。
 牛乳、チーズには、神経の興奮を静めるカルシウムもあり、消化、吸収が高いという長所がある。その上、牛乳、チーズ中に含まれるトリプトファンというアミノ酸の一種が、脳睡眠中枢を刺激して自然に眠りを誘うという働きもある。
 ノンレム睡眠は、セロトニンという物質と深いかかわりがあるとされている。不眠や睡眠障害を起こす時は、決まって脳内にセロトニンが減少しているからである。このセロトニンは、トリプトファンから作られるので、牛乳やチーズを勧めるのである。
 逆に、就寝前に濃いコーヒーや紅茶を飲むのは禁物。コーヒーや紅茶に含まれるカフェインが交感神経を刺激し、眠気を抑える働きがある。
●不眠症解消のさまざまな試み
 さらに、基本的な問題として、入眠の際、肉体的に変調を覚えるようでは寝つくこともできない。端的な例は痛みである。頭痛、歯痛、内臓の痛みなどがあれば、そちらに神経が奪われて安らかな睡眠どころではない。快眠を得ようとするならば、痛みの原因を取り除くこと。この点は、かゆみ、尿意などの刺激も同様である。
 よく、あまり熱くない風呂に入れば、寝つきやすくなるという。これは、血行をよくし、筋肉の緊張を和らげて、交感神経の働きを低下させるためである。手足を温める方法も、同じく交感神経の働きを抑制し、眠りを誘うためである。
 この点、寝る前に、刺激の強いものを避けることも必要である。テレビや刺激的な音楽、食べ物などを就寝の二時間前には避けるようにする。音楽は静かで、ゆったりした曲で、心が安らぐなら効果的。しかし、テレビはどんなものでも睡眠の妨げになる。セックスは可であるが、終わったらすぐに寝るようにする。
 眠りのパターンを作ることもよいだろう。物理的パターンは人それぞれだが、自分なりの小物を使用する方法である。例えば、枕、本、音楽、寝る姿勢、何かを手に持ったり抱く。あるいは、寝る前にトイレにゆくという行為でもいい。一種の自己暗示だが、こうすれば眠れるというパターンを作り、習慣にする。
 心理的パターンとしては、他のことは考えず、あることについてのみ考える。例えば、未来のこと、過去のこと。小よりは大、現実よりは空想、人間よりは自然。特に身近な人間のこと、金銭のことは考えないようにする。寝不足でも、朝は決まった時間に起きるようにしてほしい。
 こうして不眠症を防止しても、神経が高ぶり、どうしても眠れない場合は、無理に寝ようとせず起きる。眠れるまで心の中で、「ナムアミダブツ」を続けるのもよいし、静かに瞑想するのも効果的である。強い照明、たばこは避けて、リラックスできる場所を選ぶ。
 労働が精神労働のほうに片寄っていて、肉体は眠くなく精神だけが疲労していると、眠いようで眠れないという現象が起こることもあるが、この時は丹田呼吸が役立つ。
 眠る時に、眠りたいと考えたり、眠らなければならないと考えたりするから、眠れないのである。丹田に入っている息を、ゆっくりゆっくり鼻から吐いていると、眠れる。丹田に息があるわけもないのだが、そう錯覚して息を吐いていればよいのである。
 要は、落ち着きは体から出るもので、気持ちからは落ち着けないものだから、フーッと大きく息を吐いて体の力を抜き、肉体をゆったりとくつろがせること。体がピリピリと張り詰めていては、睡眠物質の分泌も止まってしまうだろうが、肉体が意識から解放されることによって、再び眠りの潮時が訪れてくるはずである。
 精神的条件についていうと、すでに述べた通り、睡眠に対する異常な執着から、まずは解き放たれることが肝心。何とかして眠らなければと、意識が焦れば焦るほど逆効果になってしまうもの。肉体も落ち着かず、ひとりでに緊張しているものである。人間は必要があれば眠れるものなのだという強い心、タフな精神を持つことである。
 その方法としてよく紹介されるのは、セルフコントロール法とか、マインドコントロール法などと呼ばれる自律訓練法である。自分の心を思い通りに律しようというわけである。自己催眠により、自らを眠りに誘導していく。
 環境条件については、眠りやすい状況を整えることが大切。マットの硬さを好みで選べる快眠ベッド、人気のウォーターベッド。通気性に優れ、しかも保温効果がある羽毛布団。そばがらなど天然素材の枕。果ては、快眠のためのBGMや香り製品もあるから利用したらどうだろう。
 最近は、快眠を得るために住宅建設に当たって、寝室の間取り、設計、インテリアに神経を払う傾向も強くなっているともいう。




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■眠りの知恵6 [健康コラム]





[夜]眠りの質をよくする方法
●早寝早起き、正眠法の奨励
 ここまで、睡眠の科学的考察、現代人に特有の眠り現象、不眠症の分析と対策などについて述べてきたのに続いて、大自然の真理、原則にのっとった睡眠の仕方、いわゆる正眠法というものについて解説していくことにする。
 正眠法の第一の要諦は、早寝、そして早起きということにある。昔から「早起きは三文の得」などといって、早起きを奨励しているが、どうしたことか早寝については、それほどやかましく論じられていないようである。
 実は、早起きよりも早寝にこそ、人間の健康や運命をよくするカギがあるのである。
 なぜならば、いくら早起きが習慣になっていても、「早く寝るのはもったいない」などといって、夜が更けてから就寝したのでは結局、睡眠不足に陥り、寝ぼけた状態で一日を空費することになるからである。
 また、睡眠時間の長短よりも、睡眠の深さが問題であるともいわれ、それも確かに一理あるが、そういう人に限って早く永眠する傾向があるそうである。
 だからといって、ダラダラと朝寝坊をせよといっているのでもない。本来、人間の体には自然作用が働いており、早寝をすれば当然、早起きができるようになっているものなのだ。
 そこで、日暮れとともに就床し、夜明けとともに起床して働くというような、宇宙のリズムに合った生活をするならば、人間は誰でも健康で、賢明で、堅実な三拍子そろった人格者になれる。
 読者の方々には、実生活の上に体験、認証してみてほしいもの。そして、あなた自身が素晴らしい人格者となって、周囲の人たちを教導し、花も実もある日々是好日の人生の旅路を歩んでもらいたいものである。
 ところが実際、早寝ということは、簡単なことのようだが、これはまた現代人にとっては難事業ではないだろうか。夜遅くまで残業をしたり、深夜テレビを見たり、日が替わるまで酒を飲み歩いたりと、体に染みついてしまった長年の生活リズムを改革しなければならないからである。
 理屈では効用がよくわかるから、早く寝ようと思い思いしながら、なかなか暮らしのサイクルは変えられそうもない。ついつい十時になり、十一時になるという方もおられよう。
 ともかく百日続けてみることである。「石の上にも三年」というではないか。早く永眠する代わりに、毎日、日が暮れたら早く往生すべし、明日がある。遅くとも八時には寝るがよい。夏でも八時、冬は七時でもよい。
 現代は社会が華やかで、一人敢然と、落ち着いては眠れぬものである。それでも一日にわずかの努力が、三年で死ぬか三十年生きるかの交換条件となると聞いては、考えるまでもないこと、早寝と決めたのである。
 従って、数十年間にわたって、毎朝早く、はっきり、すっきりした心境、元気いっぱいな肉体で目が覚める。
●天地に定められた時間で眠る
 現代社会の人間は多く、習慣的に寝ることをする。これは間違いである。宇宙の原則、生命の原則からいえば、夜は八時に寝て、朝は四時に起きるのがよい。
 現代社会の時刻というのは便宜的な取り決めであり、夜が明けたら起き、日が暮れたら休むように、人間の体内時計は太古の昔からセットされている。
 つまり、標準時間というものが、天地に定められているわけだ。昼の正午には、どこの世界でも太陽が天の真ん中にくる。夜の午前零時は、夜の真ん中である。そして、方角に南北があるように、時間にも南北がある。南が正午で、北が夜の真ん中の午前零時。
 十二時を中心として、夜は八時に寝て、朝は四時に起きる。眠る時間は八時間。日本などは春夏秋冬がまことに正確に訪れる。この規則正しい自然の運行に恵まれた日本、それゆえにこそ日本民族は世界で一番優秀なのである。
 生理的に見ても、人間の体温は、午前二時から明け方の四時頃までが一番低い。代謝機能も低下しているわけで、最も休息を必要としているのだから、夜中の十二時前には眠るべきだ。
 昼の頂点が正午であるように、夜中の十二時は夜の頂点、夜気最も沈んで、人体というバッテリーに、明日のエネルギーが最高潮の状態で、チャージされている時である。従って、眠るのは遅くとも十時前でないと、せっかくのチャージの効率が悪くなってしまう。
 大自然によって決められた昼夜の「時」は機会であり、個人が自由に使えるものだが、自然の摂理に反すると、人間の生理に不都合が起きるわけである。
 冒頭で述べたように、正眠法では、早く寝る、十分に睡眠をとり、早起きすることを第一の要訣としている。自然のリズムを壊さぬようにすべきであろう。
 早く眠れば、睡眠もそれだけ深いはずである。その証拠に、夢をあまり見なくなるだろう。俗に、夢は「五臓六腑の疲れ」などといわれるから、早く寝るようになったお陰で、内臓の機能も生き生きしてくるはずである。ともかく、よく眠れるようになることは事実で、寝つきもよくなる。枕に頭をつけると、たちまち眠りの深淵にグングン引き込まれてしまうだろう。
 こうして熟睡した時、肉体全体が組織も器官も、機能も一致する。この時が生命、生活上には重要な問題、重大な時である。
 上手に熟睡すれば、たとえ眠る時間は少なくても、この間に体は安らぐ。眠りの中でエネルギーが作られる。バッテリーの充電ができるように、宇宙の生命エネルギーが肉体の中にみなぎる、到来するのである。眠りの中に体力、気力が作られるのである。
 この力のない人は、耐久力がない、病気にかかりやすい、身も心も健全でない。熟睡できる人は、弱そうでも強い。確かな人、善良な人、賢明な人たり得るのである。
 眠りは、絶対世界と相対世界を結ぶ第一の機会である。生かされ生きている、他力と自力を結ぶ素晴らしい方法である。
 眠りという自然作用は、今日一日の疲れを明日のエネルギーに切り替えられる。今日一日、命を懸けて一生懸命働くがよい。愚かな人も賢明になる。弱い人も丈夫になる。眠りの中においては、足らざるものが補われてくる。病人は病気が治る。愚かな人には知恵が出る。疲れた体には新しいエネルギーを与えて、翌日に備える。
●楽しい眠気に乗じて休む
 編集子が説く早寝をするということは、眠くなった潮時に乗じて寝るという意味でもある。そこで、正眠法の第二の要諦は、眠くなったら寝るということにある。
 人間誰もがせっかくの寿命を全うするには、眠くなったら寝るという原則に目覚めて、夜は早寝を心掛けるべきである。すでに述べたように、睡眠にも適当の時がある。入眠時間の最良は八時、次が十時、限度は十二時。時をはずした眠りは正眠とならない。
 夜は仕事をしないで体を休め、宇宙天地大自然に生かされているという自然の順序に任せて生きれば、誰でも、日が暮れたという宇宙の構造、仕組みからいえば、眠気を催すのが当然である。そうしたことに慣れると、非常に眠気を催してくるものである。
 眠気というものは、とてもよい気持ちで楽しいもの。眠くなった時にそのまま寝たら、どれだけよい気持ちかしれない。誰もそれは体験ずみであろう。
 床の中に入ってきちんと寝るのは、無論楽しみだけれども、眠くなったらそのままそこへ無造作にゴロリと寝る。それ以上の楽しいことはないだろう。
 また、居眠りというのも、案外楽しいものである。人間の楽しさというものは、意外とそんなところにあるものである。真の楽しさ、無上最高の楽しさ、一番楽しいというものは、そういうところにあるのである。
 ともかくも、心身の健康を保つためには、夜は眠気がきたら、その眠気がゆきすぎないうちに、その眠気に乗って眠るということに理がある。これは、宇宙からのお誘いであると考えなければならない。
 人間が自分の努力で性格の悪いのを直そうとしても駄目だし、精神的な悩みや苦しみ、つまらない気持ちを転換しようとしても、そう簡単に自分で自分の気分を転換することは難しい。
 しかし、その時に眠ることができたら、いっぺんに気分は転換する。だから、眠れないという人は、一番気の毒である。
 この眠くなったら寝ろということは、何でもないことのようであるが、潮時に寝て、十分に睡眠のとれた翌日には、実によく肉体の神経が働くのである。
 神経は大変な力を発揮するものであるが、神経の力ということを誰も知らないし、気がつかない。
 眠っているうちに、今日働いた疲れが明日のエネルギーに切り替わるということも、神経の働きによって見事に行われるものである。これが人間を成長、発展させる原動力であり、条件なのである。
 寝ている間に細胞が調整される。新しい活動力、エネルギーをいっぱいによみがえらせるということは、眠くなったら寝るという条件によってのみなされる。
 人間は、眠りが足りておりさえすれば、食べ物は何でもよい。「あれを食べよ、これがいい」などということは、二次的な問題である。季節の物を食べてさえいれば、人間の体は健康にならざるを得ないように、完全にできているものである。
●夜遊びは神経を損なうもと
 十分に眠れて体がすっきりしている人、神経が落ち着いてしっかり働く状態にある人は、五官がはっきりして、すべての物事が正確に受け取れる。
 このような人は、その体がそのまま他力を受けることができるから、他力の力で自己の意識、すなわち心と称するものの動揺、暴走を抑えて、静寂ならしめることができるのである。すなわち、他力によって、暴れやすい自己意識をくぎづけにすることができるということを知っておいてもらいたい。
 意識が暴れると、その結果、五官が乱れる。自己意識が強くて、欲望や感情に走ると、人間の五官作用というものは、正確に働かなくなるのである。
 人間の自己意識というものは、常に満足することがない。一つのことに満足すれば、すぐにまた次の欲望、野心を起こす。要らざること、間違ったことを次から次へと求めに求めて、果てしがないのである。人間の意識には果てもなく、道も法もない。
 毎日がつまらないから楽しさを求め、刺激を求め、夜遊びに興じるなどと、いろいろなことをしたがるが、それらがみな肉体を弱め、神経に負担をかけているのである。結局は、自己の運を悪くするのみである。
 神経がこの負担に耐え切れなくなると、それぞれの臓器に影響してくるようになる。精神的な面からの肉体への圧迫も、みな体に変化を起こしてしまうものである。人間が生きている以上は、どんな人にも多少の圧力はあるけれども、特に心からくる圧力の強い人は、人一倍、自己の圧力によって苦しみ、悩まされるものである。
 しかし、その圧力も、太陽が沈んだ後は、少し低くなる。
 昼間はブラブラしている人が、夜ともなれば自己の圧力が下火になって、いくらか気が楽になるために、意識がはっきりとして、いろいろな遊びを求めて歩くということになる。眠らねばならない時間に遊び歩く人の神経が、どれほど疲労するかは、想像以上のものがある。そして、明くる日はまたボンヤリしてしまう。
 こういう生活習慣を持つ人の人生は、毎日、圧力や感情に支配されて、常にイライラ、そわそわした、動揺常なき状態になってしまうものである。
 人間の肉体は、暑さや寒さ、昼と夜というように、気象的な条件にも影響されるが、物理的な面からも影響を受けている。その上に、感情や意識が体を責めさいなむのであるから、たまったものではない。
 従って、人間の一生というものは、知識があるとか、頭がいいとかいう問題とは別に、また、金力や権力を持っているという幸せとは別に、幸福への条件があるということをよく知って、計算に入れておかないと、それがやがて個人ばかりでなく、社会的な幸、不幸にも広がってゆくものである。
 ようやく社会的に価値を認められ、名を成した人が、もろくも五十歳、六十歳で死んでゆくなどという悲惨な結果になってしまうのは、この人生の計算不足のゆえである。
●睡眠中に浄化される老廃物
 物に恵まれた地位や立場が欲しいなどという意識的欲求は、誰でも実に根強いものがある。借金してまで遊びたいという欲望などは、次から次へと苦しみを作っていくばかりである。すべて、こういうことは意識がするのである。これが癖になると、なかなか直らないものである。
 一カ月や二カ月で作り上げた、こうした習慣を元に戻すために、一年も二年も時間がかかる。また、癖になってしまったら一生直らないという場合もあるから、恐ろしいことである。
 本当に自分を知り、自分を生かしていくためには、このことをしっかりと認識して、人生の計算をするべきである。
 それにはどうしたらいいか。眠くなったら寝よ。十分に休め。ただそれだけでいいのである。理屈をいわずに「なるほどそうか」と、素直な気持ちで実行すれば、必ず効果があるはずである。
 眠くなったら寝よ、早く寝よ、十分に寝よ。それが人間をつくり、維持するすべての基礎なのである。
 意識と体が一つになって、これを実行すれば、自分の幸せはもちろんのこと、その人には人がついてくるものだ。
 これをやるかやらないかは、聞く人の自由であるが、その差が大変な違いを作り出すのである。
 水をかぶれとか、断食をせよ、などというのではない。道徳、倫理を守れというのでもない。神や仏を信仰せよともいわない。いろいろな形式に従って、精神修養をせよというのでもない。
 この人間の第一課、第一の条件、この基礎が実行できたら、真理の話は素直に受け取れるものである。
 体は丈夫でも、神経が弱くなってしまうと、本当の力を発揮することができない。人間として与えられている力をフルに出すことができない。これは、体の機能の順序が狂っているからである。
 現代人は、意識を最高のものとして、精神至上主義などといっているが、その根底に肝心の肉体の力がないために、精神力も意識も、その能力を十分に発揮することができないのである。肉体の力が弱いということは、すべての基盤がもろいということである。
 しかし、力といっても、この場合、圧力や感情のみを使うような自力の働きでは、どうにもならないのである。
 現代人は、子供の時から、あまりにも早く意識を作りすぎており、自然から成り立ってくる力を無視してしまうから、本当の健康者が少ない。健康そうに見えても、本当に健康でないために、水とか食べ物などからの有害な影響をつい受けてしまう人が多いのである。
 睡眠時間を八時間とれば、神経が完全に働くから、体内の老廃物をそれぞれの場から体の外へ排出してくれるものである。呼吸からも、皮膚からも、気体として発散してしまうし、また尿にして排出する。朝の目覚めの時の尿には、色がついているのもこのためである。
 どんな健康な者でも、睡眠中に作られる小水には色がついていて当たり前。寝ている間に、自然の働きが、そうした素晴らしい浄化をしてくれるからである。神経を使いすぎた場合にも、尿に色がつく。病気で熱が出た時にも、色は違うものである。
 尿の色の具合で体の状態がわかるほどに、人間の体というものはうまくできている。これを完全、精密に検査することができれば、内臓の状態がわかるものである。それを本当に検査する方法ができれば、それだけで人間の健康状態はよくわかるはずである。
 人間の体の機能は、素晴らしい値打ちを持っているものである。そして、生かされているという条件の上に、成り立っている生命が人間である。体の器官、機能は、実に巧妙に働くようにできている。
 この働きをいかに故障なく運行せしめるかということが、生きていく面のすべてにかかってくるのである。
 生きていくことは、難しいことではない。眠りと呼吸を真理的に行い、暑さ、寒さに順応してゆきさえすれば、年を取ってもその働きが弱るということはない。




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■眠りの知恵7  [健康コラム]





[夜]昼寝、仮眠、うたた寝の再認識
●「気」の充電は夜に行われる
 ここまで述べてきた睡眠というものは、「気」を肉体に吸収するという観点からも重要である。
 その意味でも、夜は十分に眠ることである。自然に任せて眠ると、肉体が眠っている間に、宇宙の「気」を吸収することができる。宇宙ドックに身を横たえて、眠りの中から宇宙の「気」を十分に体に受けるのである。
 この「気」を吸収するという時は、夜の大気によって肉体が吸収するものであり、昼間の太陽が出ている時には、「気」を吸収はしているけれども、絶対の「気」ではなく、調節しようとしている「気」なのである。
 逆に、夜というものは内容的な面の一切、「気」を充実させる「気」というものを蓄える。要するに、バッテリーに充電させているようなもので、昼間はそうはいかないものなのである。
 昼間も大切であるが、いかに夜が大切であるかということであり、それにしてはあまりにも、人間が夜というものに関心が薄すぎるというのは、重大なことである。
 夜は、眠っていて自己意識を伏せているから、特に「気」を吸収することが自然に、楽にできるわけだ。
 夜の「気」というものは、たとえ風があろうが、鉄筋の蔵の中であろうが、それは宇宙的な「気」であるから、別に窓を開けておくからいい「気」がくるというものではない。 夜のいい「気」の中においては、万物が完全に法則、原理に従って宇宙秩序、すなわち生命の生理的秩序に合わせて眠るのである。
 夕方、太陽が沈むとともに、地球上の「気」は変わってしまう。一日のうち、日の出と日の入りは「気」の変わり目、正午と夜中の零時にも境目がある。昼には昼、夜には夜の「気」があり、互いに異なる。空気の働きも違う。
 人間の肉体も、昼と夜とではまるで別物のように変わる。肉体は数え切れないほど多くの微小な細胞からなっているが、昼と夜とではその細胞のおのおのの働きが変わるからである。そのそもそもの原因は、これも「気」にある。
 肉体が変われば、その中に含まれるあらゆるものが変わる。目に見えるものも、見えないものも。神経も変わり、感覚も変わる。従って、昼と夜とでは人間の生き方も変わってくる。生き方というよりは、生かされ方といったほうが適切かもしれない。
 人間は夜の「気」に合わせて眠ることをせず、こうこうと電灯をつけ、夜まで昼の延長をやっているから、昼夜兼行で自らの命を燃やし切ってしまうのである。そして、病気になり、早死にする。あるいは、体の自然作用が狂って、健全に働かないから、年を取ると、ボケてしまうのである。
 よく眠ることが万事の根本である。眠りの足りない人は、気息が整わず、基礎工事のあやふやな建設と同じで、浮世の波風に耐えられぬこととなる。
 人間は一日にたとえ八時間であっても、起きて、動いたり、働いたりしていれば疲れるに決まっている。疲れない体というものは一つもない。子供でさえも、動けばくたびれるに決まっている。
 そのように、体というものは動いたり、働いたりして、疲れているわけだから、その疲れをいやして早く力にしなければならない。
 その疲れをいやし、力にしてくれるのは意識ではない。それは、夜の「気」というものが、今日の疲れを明日の力にしてくれるものなのである。
 また、人間は「気」の発動によって行動するから、気が乗れば気合が入って、五体にも「気」がみなぎってくるが、気落ちすると、気がくじけたり、めいったりして、万事に気後れしてしまう。毎日の生活の中で、四六時中「気」は働いているから、あまり気を使いすぎると、消耗して疲れるし、肝心の時に気が散って失敗するものである。
 「気」を入れ替え、気力を充実させるためにも、夜はできるだけ早く寝て、「気」を養うことに努めよう。せっかくの休日に遊びほうけて、疲れ果てるなどは、愚の骨頂である。
 「気」の乱れを静め、平静を取り戻すにも、眠ることが何よりの方法である。困ったことがあってもクヨクヨせずに、まず一眠りすることだ。「果報は寝て待て」といわれるように、十分に眠れば判断力も増し、勘もさえて、道はおのずから開けてくる。
 反対に、眠りをおろそかにしている人は、朝起きても気分がさわやかでなく、「気」によって生命力を躍動させることができない。眠気や疲れが肉体の中に残っていると、新しい「気」が入ってこないから、「気」はますます濁り、意気消沈してしまうことになる。
●健康にとって睡眠に勝る妙薬はなし
 風邪を絶対ひかぬ秘訣は、毎日早く寝て十分な睡眠をとって、肉体に「気」を充実させておくこと。風邪をひくというのは、体の中の「気」が張り詰めてなく、寒い風や、ばい菌を引き込むからで、体内に生気が充実していれば、風邪をひくことも病気になることもない。
 肺結核の病院の医師や看護士は、何十年も患者と生活を共にしながら、病気に侵されることはない。
 それでも風邪ひきらしいと感じたら、早めに寝て、十分眠ること。眠れさえすれば一晩でケロリと治るだろう。
 このように睡眠が疲労をいやし、新たな活力の源となることは、私がここで改めていわずとも、誰でも経験的に知っている。例えば、風邪をひき、医者に診察してもらった場合、決まって「今晩は薬を飲んで、早めに休むことですね」とアドバイスされるはずである。
 風邪を早く治すには、風邪薬を飲むのと同様、十分な睡眠が必要である。また、いくら薬を飲んだからといって、睡眠不足では軽い風邪も治らない。
 睡眠は疲労を回復し、ひいては風邪を治す作用を有することは、生理学的にも証明されている。人間の体は、病気に対する自然の免疫力と、治癒力を備えているのである。その免疫力と治癒力は、睡眠中に作られる。病人で十分睡眠がとれる場合と、とれない場合とでは、回復に差異が生じるのはそのためである。
 日本には、昔から「早起きは三文の得」といって、早起きを奨励する気風があった。その反面、睡眠は何ももたらさない非生産的な行為のように思われがちである。
 しかし、それは誤解であり、人の睡眠は「気」を充実して疲労を回復し、病気を治すのである。
 眠りは万病の薬、体を寝床の上に投げ出して、生かされているという気持ちになり、すべてを宇宙生命の絶対力に任せ切れば、風邪ひきを機会に体を丈夫にし、人生観が一変し、悟りの開けるもとにもなる。禍福転換、常に真理の妙用を忘れてはならない。
●眠りは子供の「気」を養う
 睡眠に関することわざで、「早起きは三文の得」とともに、よく使われるものに「寝る子は育つ」がある。
 親の我が子に対する行き届いた管理は必要だが、独りで育つ子供のじゃまをしないで、よく見守って、十分に眠らせること。特に、子供は早く寝かすがよい。年齢にもよるが七時結構、八時以後では遅すぎる。
 子供も大人も早く寝ることによって、体の中に「気」の力が作られてゆく。その中から機能が発達してくる。その機能の中から、また能力が芽生えてゆくのである。そこへ必要なものを時に従って仕込んでゆきさえすれば、子供の体の中には、いくらでも力が出てくるのである。その力は成長という時期にあるだけに、なおさら素晴らしいのである。
 例えば、子供は全く純真であり、純粋であるから、ごはんを食べている間でも、眠くなるとハシを持ったまま、すぐにそこへ横になってしまう。それを起こしてはいけない。「ごはんを食べなさい」と、無理に食べさせるようなことは、絶対にしてはいけない。
 ごはんを食べることよりも、眠ることのほうが先であり、自然の原理であるから、それに従ったほうが利益は大きい。そのまま床に寝かせるなり、風邪をひかないように布団を掛けてやればよい。
 肉体のすべてが、完全に自然機能を発し、生涯百年の生命、百年の魂が用意できるまで、子供の自然発動に親が干渉してはならない。
 子供が自然に育ってゆく有り様をよく見ていると、特に新生児の場合は毎日、安らかに眠る。この眠りというものが、新生児にとって一番大切なものである。この眠りの中で、一生の「気」を養っているのである。
 新生児は、眠りの中では「気」を養っているが、目覚めの時には、何がだんだん意味されてゆくのか、わかってゆくのか、自然だけが知っていることである。親も知らない。科学の力でもまだわからない。親の気持ちで、親の判断で、親の一方的な考えで子供を育ててはならない。子供は自然が育てているのだから。
 自然が育てるということは、宇宙の生命を生命として生きる、ということである。宇宙の生命とは、宇宙の意思であり、法則であり、約束である。それを能力ということができる。この宇宙の能力のもとに、子供は生かされているのである。
 宇宙の能力の中心をなすものは、「気」である。「気」は空気の気とは区別する。「気」は人間の体に宿って気力となる。この気力がなかったら、肉体はヘナヘナとなえてしまうというほどのものである。
 特に、乳児の体は、宇宙の「気」を吸収しやすくなっているから、この時期は、静かにしておいてやるのが一番である。なるべく静かな場所に寝かせておけば、子供の体は常に健康に守られて育つ。「寝る子は育つ」という通り、寝ている間は成長ホルモンの分泌も盛んになっている。
 親は、子供が泣いたら、その泣き声で、「これはおなかがすいたのだな」とか、「おむつがぬれたのだな」とか、その原因を聞き分け、見分けて適宜、対処するだけでよい。
 親が乳児をあまりチヤホヤしすぎると、子供の神経は、いやがうえにも高ぶってくる。なぜなら、子供の神経系統は、口がきけないだけに、大変敏感な状態に置かれているからである。乳児を抱いて揺すぶることは、やたらに神経を刺激することになり、夜泣きの原因ともなる。
 乳児を寝かせるには、昼間は直射日光を避ける程度で、明るいところがよい。夜は暗いのが当然なのだから、テレビの音や電灯の光などの刺激に、いつまでもさらしておかないで、暗くして寝かせるべきである。
 昼間眠る乳児のために、眠りやすいようにと、わざわざカーテンで光を遮って部屋を暗くしてやる母親がいるが、これは間違いである。昼間は明るいところに寝かせておけばよい。
 こういうことをはっきりさせておくところに、自然な育て方のコツがある。自然の状態の中で、体の細胞組織が組織化され、神経の働きが健全化されてくるのである。
●睡眠法の工夫について
 乳児を寝かせるコツに続いては、大人自身がよく眠れる工夫を述べてみよう。
 眠る時は、夕日の落ち込むように、疲れたままの体を眠る「気」に任せて、さっさと寝ると、ぐっすり眠れる。これが熟睡の秘訣である。
 論より証拠、必ず一度は訪れるはずの、眠くなる自然感覚の潮時に早く眠れば、熟睡ができ、宇宙ドックの中の八時間に、生命は一新する。
 また、眠るために床に就いたら、姿勢を楽にして、全身の筋肉の緊張をゆるめるがよい。真の落ち着きというものは、心や意識からではなく、肉体をくつろがせることによって生まれるものである。
 せわしなく呼吸することもやめ、吸った息を足のつま先に回すようなつもりで、深い呼吸運動を繰り返す。その状態を続けていると、いつしかコンチュニアム(連続体)が自己の中に没入し、一体となったことが知覚される。
 マイステル・エックハルトのいうイスチヒカイト(如実)の境地であり、半意識の中で天地万有と自己が一体となる。
 そして、眠りに落ちる時には、自然に口を閉じるがよい。「養生訓」にも、「口をひらきてねむれば、真気を失ふ」とある。
 しかしながら、高齢者にとっては、春は眠くなるといっても必ずしも眠りは深くならないように、深い眠りを得るためには、もう一工夫したいものである。
 そこで、健康敷布、健康掛け布とでも名づけようか、木綿製の寝具を作って、真っ裸で寝ることを奨励したい。雪国の人は冬でも素っ裸で寝るが、それは自然の知恵で、そのほうが暖かくもあり、自分の体から出る放射熱で温まるという。それは、地球上における放射熱によって万物が健全に成長、繁茂し、あるいは発展する、宇宙の理と利にかなったことなのである。
 四季を通じて、敷布、掛け布はできれば毎日でも、日光や風にさらして、体温や湿気を除く。洗濯も頻繁にして、なるべく衛生的に保つようにしたい。その中で裸で寝る味は、まことによきものである。
 夏の寝床では、厚地のタオルケット一枚で、涼しく、温かく眠れるだろう。これは空気を着て寝る方法で、生理的にして合理的、よき方法だと思う。
 枕(まくら)については、パンヤやソバガラなど、中に入れる材質にはいろいろあるが、最近は自然志向に沿って、枕の中に植物や、その芳香を入れるのが目につくから、一度利用してみるのもいいだろう。芳香枕カバーや芳香シーツもあるという。
 実験によっても、芳香物質を入れた枕などを使うと、指先などの末しょう部分の温度が使用しない場合より高くなり、神経系がより鎮静化していることがわかった。芳香が睡眠に有効なことが確かめられているのである。
 静か、あまり明るくない、温かい布団といった環境に、もう一つ、枕も工夫して、気分のよい睡眠をとり、心と身体の健康を高めよう。
 老人になると、小用が近くなるから、寝床のそばへ小用のタンクを備えておくことも忘れずに。
●ごろ寝や昼寝を見直すべし
 最後に、夜の眠りばかりでなく、日中の昼寝、うたた寝、ごろ寝などの効用を述べて、「眠りの知恵」を締めくくる。
 例えば、休日のごろ寝は一番貧しい過ごし方とされているが、これは必要な睡眠しかとらない人には味わえない快楽。体もリフレッシュされるし、単なる怠惰ではない。
 電車の中での一眠りも捨てがたい。電車内で居眠りできるのは、日本社会が全体として安全であることが大きく、豊かな文化といえる。
 反面、外国にはある昼寝という習慣が制度化されていないから、日本人は自分で眠りを見つけているともいえる。日本では、夜眠ることが自明の理となっているが、人間はもともと、一日に何度か眠る多相性睡眠の傾向がある。世界的に見れば、昼寝をしないのは先進国の一部で、熱帯や地中海の地方など、昼寝をする国のほうがずっと多いともいう。だが、ペルーやスペインでも、シエスタ(昼寝)の習慣は廃れつつあるようだ。
 この昼寝を医学的に見ると、十五分ぐらいの短い昼寝が意外に効果的なのは、すでに実証されているところである。
 昼寝の効用を調べたある調査によると、十五分間の仮眠後、眠気の度合いや、刺激に対する反応時間を測って、寝る前と比較すると、眠気は約十五パーセント、反応時間は約二十パーセントも改善されていた。
 十五分以上の眠りは、深い眠りに導く。深い眠りから急に起こされると、しばらくボーッとして作業能力が低下したり、事故率が上がるという。
 また、短時間の仮眠が、タクシー運転手の疲労回復や、事務職の能率向上に有効との別の研究結果も出ている。機械は連続して動かしていたほうが効率がいいが、人間の脳は時々休ませたほうが能率が上がる。短時間眠ったほうが、ダラダラ仕事を続けているよりも、能率は圧倒的に改善されるのである。
 昼寝、仮眠、うたた寝は罪悪ではない。脳の疲れをとってくれるし、大切な行為なわけである。
 仕事をしている時は左脳を使うが、寝ている時には右脳の働きが相対的に活発になるもの。ウトウトしている状態などは、レム睡眠ではないのだが、夢と同じようなものを見る。ウトウトすると、右脳より先に左脳が休んでしまうからである。こうして右脳を使うと、直観、ひらめきが出てくることもある。
 考えあぐねて壁にぶつかった時は、意識的にウトウトして、右脳で発想の転換をするのも一つの方法である。寝た後は、いい企画が浮かびやすいから、企業はもっと仮眠室を設けるべきではないだろうか。
 果報を得んとする者は、まず体を投げ出して寝、自然に湧いてくる力の発動を待てということである。
 企業に勤める人ばかりでなく、誰もが眠気を催したら、昼間でもそこへゴロリと寝る癖をつけること。十分間、十五分間の眠りでもすっきり頭がさえ、はっきり体が澄んで元気になる。勉強中でも家事中でも、居眠りするより寝るがよい。体には睡眠以上の妙薬はない。




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■心身を癒す1 [健康コラム]





[リゾート]ストレスは心身への刺激 
●精神と肉体が一体であることの認識
 本来、私たち人間が心身ともに健康的な日常生活を続けていくには、「気」がみなぎり、緑があふれる大自然の中で、穏やかに過ごすことが最善である。心が穏やかであれば、肉体も穏やかである。当然、気持ちは安らぎ、楽しい。ほほ笑みも浮かぶ。
 ところが、現代人は不幸なことに、あまりにも自然と無縁な生活を強いられている。科学万能で、目まぐるしく変転する高度文明社会のゆがみが、人間に不安や不自然さを感じさせ、人類史上かつてないような、過酷なストレス社会に生きているといえよう。
 私たちは、「気」が満ちる宇宙天地大自然という環境が生命の拠り所であることを、決して忘れてはならない。人間の目には見えず、人間の手に触れることもできないが、宇宙天地大自然に満ちあふれ、自らの肉体にも備わっている生体エネルギーたる「気」。この「気」エネルギーの吸収と発動が滞りなく行われれば、自らの心身の健康を維持して、病気を予防することができる。
 自らの心身を病んでしまった場合でも、肉体に備わる自然治癒力を発揮して、病んだ「気」を癒し、立ち直ることができる。現代人特有のストレスの多くは、大自然に触れ、大自然に返ることで解消できるものだ。自然に恵まれた中で、心穏やかに過ごすことができれば、ストレスに悩まされることはない。
 実際には、そういう生活を実践できる人は、真に少ない。ほとんどの人々は、ストレスのたまる人間社会の、人間的で、人工的で、人為的な環境の中で、生きていかなければならない。
 まずは一人ひとりが、このようなストレス社会の中で生きているということを自覚することが大切。加えて、自分自身の健康状態を知り、ストレスの実体を知り、ストレスとうまく付き合うことが、現代社会を快適に、楽に生きるための重要なポイントとなるのである。
 そもそも、私たち人間が生活している限り、ストレスというものが付いて回るのは、必然のこと。精神と肉体を両立させて素直に生きる人間が真に少なく、自我意識から抜け切れない人間ばかりで構成された社会では、戦争やテロの恐怖におびえたり、倒産やリストラの嵐に耐えたり、侵入盗に備えて防犯対策を整えたりしなくてはならない。こういう社会の中で暮らす以上は、誰もがストレスから逃げることはできないのである。
 ストレスを簡単にいえば、生体が外部から刺激を受けて反応する緊張とゆがみである。日常の仕事はもちろん、スポーツをしたり、人前で歌ったり、話したりする場合にも、人間はストレスを感じる。それ自体は、病気でも何でもない。むしろ適度な緊張を伴い、結果的に爽快(そうかい)感や充実感につながるものもある。
 さらに言い換えれば、ストレスは精神や肉体への刺激であり、生きている証拠である。また、ストレスは個人により、感じ方が異なるものである。同じ状況であっても、ある人は非常に負担で苦痛に感じ、別の人は全く苦痛に感じないということがある。個人個人によって、考え方や性格、経験、価値観などに違いがあるためである。
 現代人は各自、自分に適したストレス解消法を見付け、実践しているようだが、特に必要なのは、ストレスに負けぬ、しなやかな精神と肉体を備えることと、人間の精神と肉体は一体であるという確固とした認識を持つことである。
 元来、私たち人間の精神と肉体は、一体のものである。私たちは、精神と肉体がともに健康でなければならないし、そうなるように努力すべきであるということを強調しておく。
 精神が病んでいれば、必ず肉体に影響を及ぼす。その逆であっても同じことである。胃腸や肝臓が病むと、その人の性格も変わってしまうことが多い。苦しいから、痛いからということだけが原因ではなくて、体液を始めとするさまざまな体のバランスの変化が、人格を変えてしまうのである。
 感情の起伏で血管が収縮したり、膨張したりすることは、誰もが経験したことがあると思う。急変した精神状態が、器官に影響を与え、それに応じてホルモン分泌量が変化するからである。悲しみ、怒り、恐れ、嫉妬(しっと)などが頻繁に続くと、バランスが崩れ、病気になる危険性が増す。
●人間の心身の健康にかかわる「気」 
 多くの人は、「病気は憑(つ)き物だ」とか、「病気になることは災難、不幸だ」などと考えているようだ。まるで病気は外部からくるものだと思っているようであるが、それは大いなる錯覚である。
 実は、病気は人間自身が作り出す間違いであって、決して外来するものではない。本当に肉体が健康、健全に保持されているならば、病原菌などに侵されるものではない。同じく、精神が強固で、しなやかであれば、世の中の誘惑に巻き込まれ、その揚げ句の果てにストレスに悩むということもない。
 ここで、人間の精神と肉体は一体であることを改めて認識し、次に、精神と肉体をつないでいるのが「気」であり、人間の心身の健康ばかりでなく、すべての営みにかかわっているのが「気」であることを知ってほしい。
 病気とは、読んで字のごとく「気」が病んでいることにほかならない。「気」が弱っていれば、肉体も弱っていることになる。悲しみや怒りが肉体の内にたまると「気」を弱め、やがて精神や肉体に悪影響を及ぼすのである。
 昔は「四百四病」と言い習わしたものだが、今は二十四万余の種類があるという人間の病気、そのほとんどは生命の根源である「気」が不順、不調だったり、宇宙天地大自然の「気」を受けることを知らないために、精神や肉体までてきめんにむしばまれ、衰弱してしまう結果、起こっているのである。
 私たち人間というものは、地球を取り囲む大気圏内、さらには大宇宙空間を満たす「気」によって生かされて、生きているのであり、人間の体の中の諸器官は、すべて「気」によって働かされて、働いている。この「気」から作られる自然のエネルギーは、肉体を驚くほど充実させるものである。
 宇宙天地大自然の「気」は、肉体が正常な機能の営みを続けるために欠かせないものなのに、その「気」を養うことを知らず、気力の乏しい人には、生命の根源である元気が湧いてこない。とどのつまり、精神や肉体までむしばまれることにもなる。
 病気とは、文字通り「気」を病むことである。
 “病は「気」から”が科学であることは、現代医学の脳神経学やホルモン生理学の理論によっても、立証されているところ。自らの肉体を信じ、肉体を主として生きれば、肉体がおのずから精神を調節し、「気」を統御するから、自然に病気にかからなくなるし、自然治癒力も高められる。
 本来、病気か否かを決定するのは肉体であるというのに、人間は自己意識や心で勝手気ままな想像をして、まさに“病は「気」から”という教訓的な短句のとおり、自分で病気を作り出してしまう。
 例えば、昔からよく経験するところでは、心労が重なると大病を招きやすいこと、受験生が風邪を引きやすいこと、憎しみなどが心筋梗塞(こうそく)に陥りやすくすること、抑うつ状態はガンの進行を速めること、孤独な人間は早く死ぬことなどがある。
 このような明らかに社会的環境や、人間関係の影響を受けた病気がなぜ発生するかという原因を探ると、現代人というものが宇宙天地大自然の力によって生かされていることを忘れ、自己意識を振りかざして「生きよう、生きよう」とする傾向が強いために、自然作用によって吸収される「気」が十分ではない、という結論に行き着く。




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