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■体に適した食べ物1 [食べ方を工夫する]





[レストラン]正しい食物とは何か
 腹八分の勧め、続いて、よく噛む食事法を説いてきた。ここでは、腹八分に、よく噛んで食べるのに合った、正しい食物とは何かを中心に話を進めていきたい。
 適した食べ物を知るには、まず、人間の歯と腸と両方の関係を見ればよい。それが裏書きしている。人間の歯は上下合わせて三十二本あり、門歯(切歯)八本、犬歯四本、前臼歯八本、後臼歯十二本が内訳である。
 門歯は野菜や果物を食べるためのもの、犬歯は肉類を食べるため、臼歯は穀類を噛み砕き、すりつぶすために用意されたものと、それぞれの歯は特有の目的を持っており、数の割合を見ると、人間は全食物の八分の五を米、麦などの穀類、八分の二が野菜、果物、残りの八分の一が動物性蛋白質を取ればよいということになる。殻菜類が主食で、後は副食物なのである。
 このことは、唾液の中でのでんぷん分解酵素、アミラーゼ活性の度合いが高いという人間の食性から見てもわかるし、人間の腸の長さから考えても、栄養学以前の自然の理とわかる。人間の腸は、大腸、小腸を合わせると八メートルくらいもあり、肉食動物と比べると大変長い。
 主食の殻菜類が長い腸を通過する間に、その栄養を十分に吸収するという肉体の仕組みである。
 だから、最近の日本人の食生活において、あまり多く動物性蛋白質を進めるようなやり方には、私は賛成できない。長生きした人は、やはり殻菜食で生きてきた人が多い。ビフテキばかり食うようになったら、動脈硬化になるとか、血圧が上がるとかで早く死ぬ。だいたい、胴長の日本人は腸がヨーロッパ人と違って長いなど、もともと体の構造が適応できていないのである。
 体格のよくなった若者の間で、立ちくらみをするとか、骨がもろいとか、健康が問題になっているが、西欧型の肉を食べすぎる食事も原因の一つのようだ。
 極端にいえば、それが体の調和を破綻させ、脳の働きにまで影響して、闘争的になり、犯罪の凶悪化、ひいては知性の低下をもたらす。美食が脳を破壊する。栄養のバランスをとくと研究しないといけない。
 といっても、牛肉、豚肉、鶏肉、魚などから取る動物性蛋白質は体に必要な物であり、決して悪い物ではないが、摂取しすぎるとコレステロールを生じ、また、血液を酸性にする害があるため、野菜を多く食べるなどバランスを考える必要があるのである。
[レストラン]血液の酸性化を防ぐ
 我々の正常な血液は、平均PH(ペーハー)七・四の弱アルカリ性であるといわれており、そのことが生命体を健康に維持する最も基本的な条件になっている。もし血液が酸性化すれば、基本的な条件に異変を生ずることになる。すなわち、細胞個々の活動は低下し、ひいては内臓諸器官の活動にもおよんで活発な活動ができなくなるし、傷つきやすくなる。
 だが、血液が弱アルカリ性で、内臓諸器官の作用が活発に行われている限り、ガンなどにかかる心配はないわけである。
 血液がアルカリ性であるためには、大別して三つの条件がそろっていなければならない。
 その第一は先の食物であり、第二は心の問題であり、第三は環境のことである。
 第一の食物のことであるが、肉、米、砂糖、アルコールなどの酸性食に偏すれば、血液は酸性化に傾くことはいうまでもない。反対に、野菜、海草、果物などのアルカリ性のものを摂取していれば、血液は弱アルカリ性になる。自然の水をたくさん飲めば、血液もまた浄化される。
 この点、野菜類、豆類などの植物性蛋白質ならコレステロールもなく、血液をアルカリ性にするので最上である。特に年を取ったら野菜を多くすることが大切で、動物性の物を食べたら、約三倍の野菜を食べること。六十くらいの年となっては、血液は絶対にアルカリ性でなければならない。
 野菜の味の素晴らしさ、自然の味のわからぬ人に、味覚を談ずる資格はない。動物としての人間と、植物の関係も深い。若い人も、植物性の物を食べることだ。
 ビタミンも必要だから、青野菜、特にニンジン、大根の葉、ホウレンソウを食べれば、カロチンという成分が腹に入ってからビタミンAに変わる。加えて、カルシウムを多く取ること。これには、野菜のほか小魚を多く取り、イワシなどは骨ごと食べる。ワカメ、コンブ、ヒジキなどの海草は、毎日食べること。バターや牛乳も必要。
 第二の心の問題は、日常生活において、思うことが自分の意のままにならなかったり、嫌なこと、つらいこと、悲しいことのために、腹を立てたり、嫉妬をしたり、嘆き悲しんだりすると血液は酸性化に傾くのである。
 結局、感情的に恐れ、おののき、嘆き、悲しむこと、希望を失ったり、失意、苦悩のため快々として楽しまなかったり、不眠や過労が続いたりすることは、すべて血液の酸性化につながることばかりである。
 第三の環境の問題であるが、空気、飲料水、湿度、温度、それからくる公害の諸問題は、すべてが血液を酸性化する要因子である。
 我々は環境に住み、食物に養われ、心の命ずるままの生活をしているのである。しかも、そのことは体内の血液に影響して、健康を左右する原因となっている。
 だから、健康で長生きがしたいと思うならば、このことをよく頭に置いて、常に弱アルカリ性の健康血液を体内に回らせるように、合理的な生活をするよう努めねばならぬ。
 だいたい、健康とは消極的な無病状態をいうのではなく、あくまでも積極的に進んで、自己を実現する根本態勢の整っている状態をいうのである。
 それには快食、快眠、快通ということがいわれている。
 文字通り、食べ物はうまく、よく熟睡ができ、毎日通じに滞りない状態こそ、健康体といって可なるものである。この状態が長く継続する限り、原則的には病気はないはずである。
 誰もが、健康を軒昂(けんこう)に維持することは、その人自身の生活の幸福を意味するだけではなく、病気にすきを与えないことであって、両々相まって長寿につながる意味での大いなる人生意義がある。
[レストラン]旬の食べ物の価値
 食べ物の種類について述べてきたが、実は、私が本当に強調したいのは、食べ物は好き嫌いをせず、何でも喜んで食べることにある。
 喜んで物を食べると、唾液作用が変わってくる。また、喜んで物を見る、喜んで物事を実践する、喜んで行動すると、能率が上がる。宇宙の森羅万象は、常に、喜びという形で存在するものである。その喜びというものは、生理的にいえばホルモンという形で体に作用し、影響してくる。
 人間の食べ物は、地球上にいっぱい存在する。自然世界にこれほどの物が作られる。この自然の力を知るべきである。謳歌すべきである。感謝すべきである。
 宇宙を知り、太陽を知り、真理、原則を知る時、生かされているという恩恵、大きな幸せを知ることができる。
 神のお与えくださる物、それによって生かされているという恩恵を忘れ、不平をいうとか、不安な気持ちで食べる者は、恩を仇(あだ)で返しているようなもので、道理不明の罪が病を作る。
 食べ物の種類によって、体の肥痩(ひそう)は起こるものではない。何程でも、この証言ができる材料がある。ただ、食事に対する正しい心遣いを忘れている者に下す、軽い神のご忠告であろう。
 現代は物がありすぎ、食べ物の種類も多すぎるために、誰もが美食を好み味にうるさく、やたらにあれこれ暴飲暴食したがるものである。
 本来、少し食べても楽しく、自然の味があるのに、若い時からたくさん食べる癖をつけて、それも油っこい物、味の強い物を食べて楽しかったような気がするから、淡い、自然の香りのある食べ物を食べても、その淡い味も、香りもわからないのである。
 大相撲には、「チャンコの味が染み込んでいない」という言葉があると聞く。心も体もプロになっていない、という意をいい得て至妙。チャンコを口で味わっているうちはまだ素人相撲だ、体に染み込ませてはじめて一人前の相撲取りといえる。省みて、うわべの味に満足しているやからの多きことよ。
 名コックの料理も、やたらに砂糖や調味料は使わないし、煮すぎることもない。程々のところ、素材の固有の味を殺さぬところである。
 私にいわせれば、食べる物はどんな物でもよい。カロリーやビタミン計算にばかり心を奪われているのが、現代人だ。旬の物を、よく噛んで食べれば、何を食べても消化、吸収されて、立派な体ができてくるものである。
 人間は金で物の寸法を測っているから、金のかかること、値段の高い物はみな尊いと思いがちであるが、大きな間違いである。こういう意識は、改めなければならない。
 金のかかる物を食べるよりは、その時節、季節の時を得た物や、その所、所の「気」を得た物を食べるのがよい。
 天候、気候、季節、時期というものに、それぞれの内容があり、折がある。その時節に一番たくさんとれる物、できる物を食べるのがよい。そうすると、生命力の弱い人であっても、夏でも冬でも耐えられるように、そういう食べ物、食べ方から、命が養われるということもある。
 季節にできる安い物をよく噛んで食べる人には、ビニールハウスでできた高い物を食べる人よりも、よりコクがあり、利益があるものである。
[レストラン]人間にとっての新しい木の葉
 昨今では、食べ物について、あれこれと論議する人が多くなっている。
 神のお与えくださる自然食の中にはよい物があるが、人為的な物には反動や弊害、副作用があるから注意が肝心なことは確かである。人工着色料や防腐剤、人工香料、人工甘味料などは反自然の物質であるから、長い間には人間の自然の生理作用を狂わして、治療困難な成人病者を作り上げる。しかも、この本当の原因を、病者自身が知らないし、自覚しないのだから、一番始末に困る。全くの自業自得である。
 現在、人為的な環境汚染は海にもおよび、魚介類にしても何PPM以下は食べても安全だといっても、魚によって、またその漁獲時期によっても違うと思われる。それをいちいち測定するわけにはいかないし、仮に安全基準に合格したとしても、その基準そのものが甘い場合もある。
 公害物質には相乗作用、複合作用、蓄積作用があって、安全基準なるものも、各人の体質、体力などによって違ってくる。特に、公害物質の微量蓄積による慢性毒性は恐ろしく、一説には、生物濃縮による人体への影響は十一年目に最大に達するといわれている。異常体質、虚弱体質、乳児、老人などの場合は、その影響度も異なってくるであろう。
 このように、今や世界中の関心を集めている公害は、誰にとっても無関係ではあり得ない。いくら山奥の清流のほとりに住んでいても、農産物や食品公害からは逃れられない。
 この点、エンゲルスは「猿が人間になるに当たっての労働の役割」の中で書いている。「動物は新芽の果てまで食べ尽くすと、それまで食べたことのない新しい木の葉を食べ始める。そうすると動物たちの血液成分は変わり、その種は絶滅する」。
 汚染された農産物や魚介類、あるいは科学の力で作り出された医薬品や食品添加物の入った食べ物は、我々にとっては「それまで食べたことのない新しい木の葉」ではないのだろうか。
 近代科学は、例えばガン細胞を作るためにマウスを実験台にしてデータを取り、その結果を人間に当てはめようとする。しかし、人間の肉体組織は他の動物と形質的には似ていても、生命の本質で違っているから、データそのままを適用しようとしても駄目なものである。
 だから、化学的に合成された薬品や、食品添加物などの安全性が動物実験で確かめられたからといって、必ずしも安心できるものではない。要するに、自然の食品以外はすべて生体にとっては異物であるから、一切使わないことが健康にとっての大原則である。
 日赤の医者に、私の知人が食品添加物の影響について聞いたところによると、どの食品にも添加物はあるが、一番いけないのは防腐剤だそうである。
 また、豆腐屋の元締めに聞いたところによると、パック詰めの豆腐をデパートやスーパーなどほうぼうで売っているが、四日も五日も持つように、防腐剤を入れてあるので体にはよくないから、買う時には豆腐屋へいって、水の中に浮かしてあるのを買うべきだという。
 集団発生する奇病という名の気味の悪い病気などは、「安全性が高い」というあやふやな表現で使われている食品添加物や、未知の薬害による現象ではないのかと疑ってみる必要がありそうだ。
[レストラン]心で食べず、体で食べる
 化学的合成品の恐怖は、我々の身近なところに潜んでいることをさらに指摘したい。例えばビタミン剤である。
 ビタミンというと健康の根源のようなイメージがあるから、多くの人々はあたかも護符のようなつもりで愛用している。だが、ビタミン剤といえども、やたらに飲んでは副作用の害のあることは当然で、そういう意味では、おまじないが物質化された護符より始末が悪い。科学の仮面をかぶった悪魔になる場合も、少なくないからである。
 ビタミンAの過剰症にかかったらどうなるか。まず、食欲がなくなる。毛髪が抜け落ちたり、手足の節々の骨が痛み出す。時によっては、肝臓をやられてしまうことも珍しくない。
 ビタミンAといえば、おなじみのニンジンやカボチャなど、赤い色をした野菜に含まれていて、これが不足すると俗にいう鳥目になったりする。野菜などに自然に含まれている物なら、少々食べすぎても害はないところに、巧妙な大自然の摂理があるが、人工の肝油などで補おうとして量をすごすと、往々にして中毒症状を起こすことになる。
 改めて、化学的に合成された薬、食品添加物などというものは、原則的に毒であることを肝に銘じなければならない。
 ところで、このように、はっきりと有害と判断できる人工合成品の害を説くのは正しいが、自然の産物としての食物それ自体について、「あれは食べてはいかん。これを食べよ」と説法する人が増えているのは問題である。
 その説がそれぞれの解説者によって違うから、一般消費者はどうしてよいかわからない。これは、心で食べ物を食べようとする態度であって、不自然である。
 自然の食品で、その人が食べておいしく、かつ食べた後の体の調子がよいならば、あえて無理な理屈を並べて、食品を厳選するほどのことはいらない。
 肉体が欲する物は、何を食べてもよい。しかし、心でえり好みする食品は、時に〃造病〃食につながることがある。
 正食は体で食べるが、心は舌の先で食べるから、時には、体に害になる物でも平気で食べたり、飲んだりする。
 このような誤りを犯さないためには、常日頃から意識を正しくしておくことが必要である。
 意識が正しく働けば、意識は肉体の五官から発生するものであるから、食物の選択においても誤ることはない。
 自然の物を食べる自然食の考え方は、すでにギリシャ時代の哲学者たちも唱えており、その後も多くの人によって提唱されてきた。
 だが、近年の自然食の大クローズアップの原因は、農薬による食品の汚染、発ガン物質、食品添加物の乱用などが、人々に不安感を与えたことにある。また、現代の薬害(医原病)、公害(企業害)の多発も、人々に自衛を迫った。人間の体にとって、一番よい食べ物は自然の食品であるということに、ようやく人々は目覚め、ちまたには自然食ブームが続いている。
 その目的は大変結構であるし、方法も自然的、真理的であって、何もいうことはないが、実際面においては、人間心が介在、介入してくるために、手放しで喜んでばかりもいられない。
 一つには、現代人の食事は、季節感を忘れて夏冬ぶっ通して野菜が食える、温室ばかりではなくて、冷凍施設を利用すれば、世界中の食べ物はいつでも食える。その恵まれの結果は、自然食ブームの陰で、飽食して肥満児を作り、恍惚老人を増やし、病気の種類も多く、病人の数も激増している。
[レストラン]自然食愛用のための注意
 飽食の現代人への警鐘として、少し前の昭和五十三年、奥多摩の入川谷にある東京都の水産試験場で、面白い話を聞いたことがあった。
 ここでは主にヤマメとイワナを飼っていた。山間の渓流で生息しているものは五年かかって成長し、そして死ぬのだが、水槽で養育されたものは半分の二年半で成長し、そしてやはり死んでしまう。それ以上は生きられない。
 魚に限らず、自然から離れ、常に保護され、労せずして食を得られる人間の命運も、かくのごとしではなかろうか。
 そこで、正しい自然食愛用のために注意すべきことを二、三述べてみよう。
 第一は、人間の体に合った自然食とは何かということであるが、これには必ずしも明確な定義はない。一般的には、自然にとれたままで加工しない物、さらに食品添加物や防腐剤などを含まない物という答えが返ってくるが、具体的な食品選択ともなると、人によって異論がある。
 例えば、牛乳や卵は、BHCなどの公害物質に汚染されていなければ自然食と見なされるが、自然医学会などは、これらは本来、人間の生理に合わないものであるからと、自然食品のリストから外している。
 第二は、レッテルに自然食品と銘打ってあっても、それが果たして本物の自然食品であるのかどうか、消費者にはわからないという基本的な問題である。農薬を使用しない清浄野菜、清浄果物といってみても、見た目にはわかりにくいから、作り手、売り手を信用するしか手はない。もちろん、この場合は、虫食いの跡があれば無農薬栽培である証明になるが、やがてそのうちに、狡猾な商人らは、人工的に虫食いの跡を作る技術を発明するかもしれない。
 第三に、市販の自然食品には多種多様の物があるから、そのうちのどれが自分にとって最も好ましいのかを判断するのが困難であるということである。自然食であれば何でもよい、というわけにはいかない。朝鮮人参は強壮食として流行しているが、高血圧の人にはかえってよくないし、ニンニクも強精食であるが、多食すると、貧血を招くという医学のデータのあることを知っておく必要がある。




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■体に適した食べ物2 [食べ方を工夫する]





[レストラン]肉体には精妙な選択力が働く
 現代人の食事に比べ、自然の中に生きていた大昔の祖先たちは、自然のままの食品を特に味つけなどせずに、そのまま食べていた。少なくとも、現代よりは塩味も甘味も少なかったと思われる。
 それが現代では、濃厚な味つけの料理が好まれるし、不必要に人手をかけ、人工の添加物を加えたりして、豪勢に見える食品を作り出すのに懸命になっている。
 多くの人が口では公害を非難し、きれいな空気や日光、水の必要性を痛感しているはずであるのに、ことひとたび食品のことに関しては、自ら不自然化を見逃しているのはどうしたことであろうか。
 もちろん、食べ物はうまいにこしたことはない。しかし、そのうまみは自然の持ち味を生かしたものでなくてはならない。人工的に濃厚な味をつけた料理は、ちょっとの口舌の楽しみはあっても、それを食べ続けていれば、やがて体に障害をおよぼしてくることを忘れてはならない。
 人間の体には精妙な選択力があるから、そうした現代流の濃厚な味を一週間も食べ続けていれば、必ず飽きがくるはずである。この本能的な選択力に忠実に従うならば、淡泊な自然の味の中にこそ、生命の糧があることを、体で知ることができるだろう。
 現代では、食べ物や食べ方に注意しても、素人にはわかりにくい有害添加物を含んだ食品も少なくないからこそ、食べ方について心であれこれ思い煩わず、食べた後の体の調子、頭脳の働きなどで、つまり体そのもので判断して、正食を正しく食べる習慣をつけることが大切である。
 栄養となるかならぬかは、体そのものによるのであって、食べ物だけにあるのではない。いかに栄養学的に認められた食品でも、食べる本人の体が完全でなければ、それはまずく感じるし、生命の糧として身につくこともないだろう。
 人は食べ物の種類によって、それぞれの栄養分が違うと思っているが、肉体が自然に返っていなければ、いくらいろいろの物を食べても、偏った栄養しか得られないもの。
 肉体の持つ物理的作用というものはコンピューターより正確に、健康のために不可欠な栄養のバランスをはじき出し、かつ、計算通りの栄養を吸収してしまうものである。
 誰もが健康になりたければ、肉体というものの素晴らしい働きを、無条件で信じるがよい。肉体機能の持つ自然作用に任せておけば、食べた物を肉体が分解、仕分けして、必要な栄養に転換してしまうものである。体に悪い物を食べると、すぐに吐いたり、下痢したりするのも、肉体を守ろうとする機能が自然に働くからである。
[レストラン]もっと水を摂取しよう
 食事について論じているからには、水を中心にした飲み物についても触れておきたい。
 かくいう私は、一日に水を一升は飲む。肉体生命は水を注がれ、水をたたえて、楽しく、元気はつらつと躍動している。
 水は宇宙万物にしみわたっている。しかも、熱しては蒸気となり、冷えては氷に変ずるというように、色即是空、空即是色の大真理を具現している。中国の老子の言葉にも、「上善は水の如し」とある。最上の善は水のようなものだ。水は万物に利益を与え、水なくしては何物も存在できぬ。
 これほどの水なのに、近頃の人間は一般に偏食したり、あるいは過食したりしているわりに、水を飲まなすぎる。併せて、もっと上手に空気を呼吸することを心掛けなさすぎる。だから、今日ほどの便利な時代に、偏食のために病気をしたり、ビタミン不足、ホルモン欠乏症などというのが出てくるのである。食糧の少ない昔でも、そういうことは少なかった。
 自分の健康を守るためには、朝起きたら十分に水を飲み、窓を開けて新鮮な空気を胸いっぱいに吸うがよい。
 人間の体は水分が三分の二を占めていて、絶えず循環しており、特に細胞には水が必要であるのに、その補給が足らぬのである。
 一説によると、人間の肉体の成分比は、蛋白質が全体の十七パーセント、脂肪約十四、炭水化物一・五、ミネラル約六、そして残りの約六十一パーセントが水だという。私たち人間の肉体のほぼ六十~七十パーセントは血液、体液といった水分であることに間違いはなく、その肉体を構成している細胞は、ちょうど水中の生物のように、水に浸され、水に溶けた栄養や酸素を得て、老廃物を捨てている。
 水や空気の中には、知恵も力も栄養もある。それに直結して効をなす空の力が人体にある。人間は肉体の持つ神秘の能力を、みな放棄して、平凡なものになってしまった。
 水の素晴らしさは、実際、千万言を費やしても語り尽くせないほどである。
 とりわけ、起き掛けに飲む水はうまい上、胃を刺激して活発にするので、食欲も出るし、同時にあくびやおならなどガスの放出にも役立ち、快便をも促す。さらに、脳の活動をも活発にするのは、水による酸素の補給があるからである。
 頭もすっきりとし、体中が快い。「さあ、今日一日も頑張るぞ」という気分がみなぎる。
 すきっ腹に飲む自然の冷水は、胃に入るやいなや、ほんの数秒あるいは数分間で体中にいきわたるものである。細胞から細胞へ、血液を通して、どんな微細な部分へでも、たちどころに浸透していく。これは、水の毛管現象といわれる宇宙性の特徴である。天然水が巨岩を砕き、ついには押し流すに至る力も、この毛管現象による。この浸透力と溶解する力に生命を託し、依存しているのが、動植物を問わず、生物全体の水との関係である。
 だからこそ、よく眠って肉体をゼロにして起き出す朝の、水分不足の体に、コップ一杯の水は牛乳以上の効をなす。人間は金高で価値をはかるが、水というインフレ退治の妙薬のあるのを忘れている。
 ぐっすり眠れた朝ほど、寝ている間に自然作用で水分が吸収されてしまうため、ことにのどが渇くもの。従って、その分だけたっぷりと水を補給しなければならない。七、八時間の睡眠なら最低コップ五杯ぐらいの水が必要で、一度では無理としても、何回かに分けて飲む習慣をつけるべきである。
[レストラン]水は噛むようにして飲むこと
 誰もが人間の生命維持にとって大切な水、自然なよい水を、ぜひとも一日に一・八リットルは飲むようにしたいものである。
 この水を飲むにも飲み方がある。急いでガブガブ流し込んではいけない。噛むようにして飲むことが大切なのである。
 空気が乾燥しているからといっても、ガブガブ飲むということはいけない。一応口の中に入れて、静かに飲まないと二杯飲んでも、三杯飲んでも効果は薄れる。一含みしたほうがどんなに効果があることか。間をおくわけで、三杯一度に飲むよりも、三回に分けて飲むことのほうが、体全体に効くというわけなのである。子供であろうが老人であろうが、すべての者に必要なことだ。
 つまり、急に無理に飲まず、肉体が水分を要求し、よく吸収するよう、肉体を動かし、働かせて、運動を怠らぬようにすることである。
 このようにして水を多く飲み、それが体になじむほどであれば、体の中の不用な物、悪い物をみな溶かし、流してしまう。水が体全体に吸収され、変化して力となる。肉体にとって、水の価値は計り知れない偉大なものである。
 水を飲むと唾液が薄くなるというが、そんなことはない。人体は水分を多量に必要としているのに、現代人は水の飲み方が少なすぎる。努めて水を飲むべきである。そうすれば、のどが渇くということもなく、結果的に、健康上問題のあるジュース類を飲む必要もなくなって、一挙両得となる。
 といっても、昼間は、どうしても水以外のジュースなどに目が移り、水以外の物を飲んだり、食べたりする人が多いのが常だろう。
 この時、水を飲めば疲労やのどの渇きが回復するということが、往々にしてあるにもかかわらず、それに気がつかないということは、水のありがたさとか、水がどのような働きをするかということを知らなすぎるせいである。
 体が水を要求する時は、細胞が活発に働いているか、体自体が吸収できる状態にあるから、水を飲むという吸収力があるということになる。そして、飲んだ水は直ちにエネルギーにすることができるもの。水の触媒作用を利用して、肉体内部に自然の「気」を起こさせると、比喩でいえばちょっと変わった発電所ができて、水力電気、体電気エネルギーが発生するということだ。
 腹が立った時にも、まずコップ一杯の水を飲むがよい。体が疲れた時にも、水を飲む。疲れた時にはのどが渇く。それは働くということで汗が出るのであるから当然である。
 人間の体を分析してみると、約三分の二を占める水分の、たった十分の一を失っただけで病的状態に陥るといわれている。体が疲れると、この肉体の水分が減って、いっそう疲労の「気」がたまるから、この「気」を元気に戻すためには、水を飲むことが何よりである。水を補給すれば、たちまち気分もよくなる。
[レストラン]大自然が与えた最大の活力源
 水の飲み方次第で、人間は健康になれるのである。
 水の中には生命の素があるから、新しい血液ができて元気になる。すなわち、血液の細胞を作る鉄、葉緑素を作る重要な元素であるマグネシウム、細胞中のミトコンドリアのカギを握る元素のリン、毛を作る硫黄、骨や殻を作るためになくてはならないカルシウムや珪素(けいそ)など、水はその溶解性によって、生物に必要な物質をすべて溶かし込んでいるのである。
 また、水には物を純粋にする浄化力もあるから、肉体の新陳代謝がよくなる。たくさん水を飲んで体を洗えば、細胞は非常に立派な新鮮なものとなる。
 水を飲んで、そこからエネルギーを取ることができる。細胞を新鮮にすることもできる。それは、水の中にも宇宙生命、宇宙感覚、宇宙エネルギーが潜んでいるからこそである。
 私たち人間も、食物のカロリーなどという栄養価を口にする前に、知らず知らずのうちに恩恵に欲している、自然の水と自然の空気の大切さを知らなくてはならない。
 これは宇宙大自然の尽きることのない恵みである。いうなれば、大自然が惜しみなく無尽蔵に、平等に与えてくれている最大の栄養こそ、水と空気、そして日光である。まさに、この三要素こそは、生命の元の元なる栄養源、肉体の原動力となるエネルギーなのだ。
 水の生理的効用としては、血液の循環をよくし、体液をアルカロージス(アルカリ性)に調整し、細胞の新陳代謝を促進するなど、すべて生化学的に認められているところである。
 体の中の水分が減ってくれば、血液は当然濃くなり、粘っこくなる。そのままの状態では、末梢血管の血液の流れが悪くなり、赤血球一つがやっと通れるような毛細血管などが、真っ先に詰まりやすくなる。当然、体のあちこちの機能が低下し始める。
 まず、脳の働きが悪くなる。思考力がガタ落ちになり、勘なども働いてくれない。「血の巡りが悪くなる」からである。
 まだそれほどの年でもないのに、「恍惚の人」になったりするのも、若いうちから水の飲み方が足りなかったせいでもある。冷たい、生きた水を飲まずに、コーラやジュースばかり飲んでいると、こんな結果になりやすい。
[レストラン]おいしい水の秘密について
 では、おいしい水とはどんな水であるか、について述べてみよう。
 水のおいしさに関係のある水質成分を科学的に分析すると、第一に、炭酸ガスが挙げられる。炭酸ガスは自然の湧き水や地下水(浅井戸)などに含まれているが、これが適量溶けていると、水に新鮮でさわやかな味が加わる。水中の炭酸が舌や胃の神経を刺激し、消化液の分泌を促進するからである。
 次が、何といっても酸素の量である。水に溶けている酸素の量が多いほど清涼感があり、新鮮な味がするものだ。第三は、ミネラルの含有量である。マグネシウム、カルシウムをはじめ、ナトリウム、カリウム、鉄、マンガン、亜鉛、シリカなどさまざまな鉱物質が水に溶けているのが、自然水の特徴である。適度のミネラル含有量は、五十~二十ミリグラムリットルとされ、こくがあり、まろみを保っている。
 そして何より、私たちにとって一般においしいと感じられるのは、生温かい水より冷たい水である。湧き水や井戸水が水道水よりおいしいのは、成分差もあるが、第一に水温が適当に低いからである。
 その上、湧き水や、湧き水の集まりの谷川の水、地下水がおいしく感じられるのは、良質で低温な自然な水であって、土壌を通過して、ろ過される間に不純物は除かれ、適量の炭酸ガス、酸素、ミネラル、カルシウム、マグネシウムを溶かし込んで現れる水だからである。
 だが、人工的に作り出す蒸留水とは違って、自然水にはバクテリアや塩素化有機物など多少の汚染がないとはいえない。が、そういう自然水になじんだ動物の肉体には、そのほうがむしろ生命の水なのである。
 特に、できるだけ冷たい自然の水の価値は大きい。そのために、中国では、雪解け水が不老長寿の薬と古くからいわれてきた。いつまでも若い気でいる老人をたしなめることわざに、「年寄りの冷や水」などというのがあって、冷たい水は敬遠されがちだが、本物の冷水を愛用するのは大いに結構。細胞にとっては冷たいほうがよいのである。
 水は低温になるほど、その分子構造が緻密になっている。つまり、普通の水道水は十三個ほどの水分子が集まって分子集団(クラスター)を作っているといわれているが、冷たい水は分子集団がより小さく形成されているために、細胞組織に浸透しやすく、取り込まれやすい。
 さて、自然の生水の価値が大きいといっても、一般の多くの家庭ではどうしても水道水に頼らなくてはならないだろう。そこで、一般家庭での飲料として一番ふさわしい水となると、沸かした湯ではなく、水、それも、できるだけ氷を溶かした水を飲んだほうがいい。
 いったん沸騰させてしまった水は、高温の作用でその生命ともいうべき分子構造が破壊され、別の結合状態となってしまう。そのため、細胞には吸収されにくくなり、体内を素通りしてしまうようなことになる。同時に、煮沸によって水の中の酸素、炭酸ガスの含有量が非常に減少しているため、決してよい飲み物とはいえない。
 一方、水が凍った時にできる美しい結晶格子のような分子構造は、生体の細胞の分子構造ときわめてよく似ているので、細胞が実にその水を吸収しやすくなる。言葉を換えていえば、氷の分子構造は、生命体の分子構造の中に、そのまま入っていけるのである。
 いったん凍った水は、再び解けて普通の水に戻っても、氷であった時の特殊な分子構造が残っているものである。つまり、その水の中に、氷の分子構造を持つ無数の小さな島を浮かべているのだ。しかも、その小島に摂氏三十度の熱を加えても壊れない。
 水が凍ると、赤ん坊が喜ぶガラガラの玩具のような形に美しい結晶格子を作るが、その美しい結晶格子を持つ小島こそ、人間の細胞にエネルギーを与える、生命の水の秘密なのである。
 人間の蛋白質、脂肪、炭水化物の分子構造は、氷の分子構造と酷似しているから、普通の水より氷を解かした水のほうがよく吸収されるし、分子構造を傷つける恐れもない。また生物の老化の原因の一つとして、細胞の分子が傷つき、それが生体内に蓄積されるからだという説もあるが、平常から冷たい水をたっぷり飲んでいれば、氷の結晶構造を持つ分子が細胞の傷を補修するから、若返りにも役立つわけである。
[レストラン]飲料水との上手なかかわり方
 昔は暑い季節になっても、氷を手に入れることは一仕事だったが、冷凍庫のついた電気冷蔵庫が普及したお陰で、どこの家庭でも簡単に氷が作れるようになった。せっかくのフリーザーを大いに活用し、毎日の飲み水はぜひ、生き生きした冷たい水にしたいものである。
 酒屋で売っているぶっかき氷、富士山の氷穴の天然氷などを買ってくるのも一案で、溶解して飲むのもよいだろう。
 水道水について述べると、二PPM程度の塩素含有量の水道の水、つまり日本の大都市の飲料水だと、まず金魚は死んでしまう。魚も人間も、酸素を呼吸して生きているのであり、金魚は水中の酸素を摂取しようとして、水道水中の殺菌、消毒用に使用された発ガン性の塩素ガスを一緒に摂取して死ぬのである。
 こんな水が、人間にもよいわけはないが、水を大量に消費する大都会に暮らしている以上は仕方がない。
 日本の水道は最近、夏場を中心に、臭い水の苦情が相次いでいる。これは、水源の湖などに発生するプランクトンに含まれている物質が原因。かつては山奥にあった水源地近くに、人間が住むようになったために、生活排水などで富栄養化したのが影響したとされている。
 また、テレビ番組で、東京と大阪の水道水を点検した結果、二十四種の化学物質を検出したと報道されたりしている。私が対談した医学博士によると、水道水でも、厳密にいったら二百五十種類ぐらいの生体異物、まあ毒物が入っているという。
 こういう水道水に不安を抱く人は、日本や世界のミネラルウオーター類が売り出されているし、おいしい水を作るという触れ込みの家庭用浄水器が市販されているので、利用してみたらいいだろう。
 家庭用の浄水器には、活性炭などを使用して不純物や異臭を取り除く水道蛇口直結型の浄水器から、水を分離してアルカリイオン水と酸性イオン水を別々にホースから取り出す電気分解式イオン水製造器、超微量の二価三価鉄塩に誘導された水であるパイウオーター製造器まで各種ある。値段も高価な物から、数千円程度の製品までいろいろある。
 ほかにも、最近はティーバッグ式の浄水剤や、沸かしたお湯から水道水のカルキを抜くという保温機能つきの電気ポットなどが、相次いで売り出されている。
 それぞれの効用も盛んに宣伝されているので、比較検討して使用されることを勧めたい。




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■食生活の工夫1 [食べ方を工夫する]





[レストラン]乳幼児の味覚と感覚について
 本編では、乳幼児や子供、老人、あるいは眠れない人などについて、それぞれ工夫してもらいたい食事の注意点を述べてみる。
 まず子供についてであるが、子供の新しい生命体には、病気などがあるはずはないのに、現代は子供の慢性疾患が多い。これはすべて、食べ物に原因がある。
 食べ物は、自然の物を、自然な味で、腹八分目だけ与えればよい。例えば、赤ん坊に母乳を与えれば、物を噛む時に使う筋肉をよく動かして飲む。母乳が十分出ないことがあっても、自然の栄養調節になる。
 反対に、ほ乳瓶で人工のミルクを与えても、赤ちゃんは吸い出すだけでよいから、あごの運動は必要でなく、噛む力が育たない。泣きさえすれば与えられることは、過食にもつながるだろう。
 そればかりか、子供が喜ぶからといって、人工の、不自然な物を与えることは、五官をマヒさせ、自然感覚も、自然機能も働かなくさせてしまうこととなる。
 赤ん坊の五官のうち、真っ先に働くのは口と鼻である。目や耳は少し遅れる。
 目という器官は、もともと物を映すようにできているから、教えなくとも自然に見ることができる。道元禅師がいっている「見える目」で、周りの物の姿が自然に新生児の目に飛び込んでくる。
 よく、「子供は物覚えがいい」とか、「子供にあってはかなわない」ということをいうが、乳幼児期には子供の五官は非常に純粋で正しいからで、五官が正しいからこそ、見たり聞いたりしたことを、何でも吸収してしまう。
 こうして子供の五官を通して入ってきたものは、潜在性意識の中に収められ、それが体から出る時には手悪さや、いたずらとなって現れる。
 耳から入ってきたものは、縁に触れれば自然に片言となって表現されるなど、子供のうち、人間の五官作用は実によくできていて、知能や情操の発達を大いに助け、成長にとって欠かせないものである。
 ところが、乳幼児期に、親が母乳の代わりに、ミルクに砂糖を入れて飲ませたり、人工的に甘く味つけされたジュースやアイスクリームのような、口当たりのいい物をやたらに与えていると、五官がマヒし、最も大事な鼻がきかなくなってしまう。
 新生児は唾液がありあまっているから、ヨダレを流しっぱなしにしているが、すでに述べた通り、唾液の中には食物を消化するための酵素のほかに、パロチンというホルモンが含まれ、これがカルシウムを骨に定着させる作用があることが、科学的なデータからも証明されている。
 親の好みでやたらに甘い物、偏った人工物を与えれば、砂糖が発育に必要なカルシウムを奪う上に、人間の精神の安定や肉体の健康にきわめて大切な働きをする唾液の分泌力を弱め、機能を低下させる。結果的に、ホルモンバランスが変化を起こして、骨や歯がもろく、細胞組織や身体機能の弱い人間をつくってしまう。
 もともと、生まれてきた人間は本能の中に、真なる味覚というもの、真なる味というものを味わう力をいただいている、持っている、持たされているのに、それを妨げるものは、親なのである。世の中の親というものが、子供の感覚をマヒさせてしまうのである。
 人間が生まれてから死ぬまでに、この肉体に感覚というものを持っている、与えられている大変な力であり、財産であり、価値であり、値打ちなのである。
 感覚は、子供の時、一番純粋で純真である。この時、すでに親によって妨害されてしまう。自然に生かされ、生き、成長してゆく人間が、親の都合のいいようにされて、自然の感覚が成長、発達してゆく時期に、親の意識で子供をいろいろ変な者に育ててしまう。
 自然の作用で一方的に生かされ、育てられている時期には、親の満足のために人工物を与えることは控えて、完全に歯が生えそろって、肉体がしっかりでき上がるのを待たねばならない。
[レストラン]子供と甘い食べ物
 子供の未完成な体は、だんだん臓器がしっかりしてくると、働きが強くなってくるため、外部からの栄養、特に固形物が必要になってくる。この時も、多く食べるという習慣をつけてはいけないので、年齢に応じて与えるべきである。
 親というものは、子供に物を食べさせて喜んでいるが、味の強い物は子供の感覚に残り、意識できるのである。従って、三歳から五歳までは、あまり甘い物を食べさせてはいけない。すでにおわかりのように、甘さによって、唾液そのものの価値がなくなってしまうし、唾液の粘液が薄くなってしまうからである。
 甘い物に慣れた子供にしてしまうと、その子供の中に作られてくる唾液は、口から入ってくる物を、十分に消化することができなくなる。
 そのようなわけで、体の中の機能にしても複雑であるが、物を外から入れて変化させる力が、子供の時すでに弱くなってしまったら、理性とか情操とかいう精神作用にも影響がおよぶのである。六歳以上になってくると、体の中に抵抗力ができるのであるが、親があまりにも物を与えすぎるため、子供の体の中の器官と機能で構成する働きが失われてしまうことが多い。
 一つの働きが失われると、結局、さまざまなところに障害が起こるようになる。例えば、脳の働きが散漫になるというか、弱ってくるというか、そういうことになれば、耐えるとか、我慢するとかいうことができなくなってくるし、集中力もなくなってくる。
 子供は、実際に敏感であると同時に、集中ができるものなのである。それが甘い物を食べさせすぎたため、集中力を失ってしまうことになる。
 甘い物を食べすぎたり、または濃厚な物を食べすぎたため、唾液が力を失ってしまって、ついには気息えんえんたるものになる。
 体の中に必要な糖分は、甘い物によらないでも体の中で作られる。胃の中に入った物から、ひとりでに糖分ができる。甘い物を食べすぎると、歯も悪くなっているから、十分に噛むことができない。余計な分量を入れて、胃に負担をかけてはいけない。胃では、胃液で一切が行われているのである。いつでもいたわっておかなければならない。唾液の補給はもうできないのである。唾液をいくら飲み込んでみたところで、その力には限りがある。
 何にも知らない純真な子供に、母乳の甘味の何十倍もあるようなチョコレートや、アイスクリームなどのお菓子を食べさせることは、とんでもない誤りである。子供のおなかの中には、アイスクリームのような冷たい物もなし、チョコレートのような甘い物もない。
 そんな不自然な有害物を与えたら、小さな生命体はたちまちマヒしてしまい、虫歯持ち、肥満児、虚弱児になってしまう。
 乳幼児時代から歯が悪くなるのは当然のことで、三歳児でさえ八十七パーセントが虫歯持ちだとか、小学校時代に虫歯の子供が九十パーセントとも、九十五パーセント以上ともいわれるほどいるということは、何という人の世の不覚であろう。
 そうして虫歯として現れた時は、すでに歯だけではなく、全身の骨も肉も細胞も、砂糖の害によって大きくむしばまれていることを、よく知るべきである。
[レストラン]よく噛み、よく運動する子に
 白砂糖に代表される砂糖の害は、砂糖物を食べたらすぐ、うがいをしたり、歯を磨くことぐらいでは到底すまぬものである。
 甘くても酸性食品であるから、体液を酸性にするといわれているし、唾液の根を枯らし、味覚の微妙さを殺し、胃腸から全身の細胞までを弱体化させてしまう。また、人間性も甘く、我がままなものとなってしまう。
 子供の弱体化を防ぐ第一の方法は、よく噛んで食べさせること。よく噛むということは、唾液をそれだけ豊富に分泌するということであるが、それは消化を助けるばかりでなく、肉体維持に大いに役立つ。食べすぎも防げるし、歯も丈夫になる。
 第二には、子供を自然に育て、肉体を鍛えることである。
 昭和五十九年の「日本学校保健会」の調査によれば、骨折しやすい子供の原因は、加工食品などによるリンの過剰摂取や、カルシウム不足と同時に、実は、過保護に育てるために、幼児の頃から体の発達に応じて運動をさせ、機敏な身のこなしを体得させないことにあることがわかったという。
 「あれも危ない、これも危ない」と親が躾けるために、子供は体を投げ出して身を処する訓練を欠いている。木登りをして落ち、けがをして子供は鍛えられ、社会を知る。小さいけがは、大きいけがの予防だという。危険に直面して、子供は自然に乗り切るすべを肉体に躾けてゆくものである。
 まず現代っ子は肉体を鍛えよ。親は子供を自然に育てること。自然が子供を育てるのである。
 こういう大切な運動の不足や、高カロリー食品の取りすぎなどが原因で、都会っ子の世界では、半数が成人病予備軍だともいう。十歳か十五歳くらいで、すでに体が老化して、糖尿病や腎臓病に患わされている例も珍しくない。
 このままでは子供の大半が、四十代前半までに成人病にかかってしまう、と医師は警告している。
 また、朝の体温が三十六度以下という児童が四割、立ちくらみや、めまいなど、朝に弱い自覚症状を訴える児童が過半数。不規則な生活などから、自律神経失調症に陥っている児童が急増している、という発表もある。
 子供ばかりか、青年も虚弱化している。今の相撲取りの体格と、十年前の幕の内力士を比べてみると、だいたい身長が十センチ、体重が十キロ、今のほうが多いという。ところが、今の力士は誰も、どこか痛めたとかいって、サポーターなど白い物を巻いている。昔はなかったことである。これは腰骨が弱いからだという。
 そこで、第三には、子供にカルシウムをもっと与えること。肉やマグロの刺身などばかり食べていては、体だけ大きくなっても、丈夫な骨を作ることはできない。煮干しや目刺し、イワシのような骨物を頭から食べさせなくてはいけないのである。
[レストラン]老人の食の原理というもの
 老人の食事法に話を移すと、年を取ったら飽食してはいけない。六十歳をすぎたら腹八分か七分で、大食を慎み、濃厚食も避けるほうがよい。
 老人の大食や濃厚食は、体を疲れさす。夕食は軽く、よく噛むこと。老後の肥満症は危険だから、米の分量も減らさないと、胃に負担がかかることにもなる。
 新鮮な野菜や果物は、動物と植物の依存関係からみても、消化によい面からみても、多く取るのがよい。生野菜、昆布、納豆など、よい食品が山ほどある。
 年を取ると、食べる分量はおのずと決まるものである。若い人でも飽食すれば短命、無福の人となり、バカの大食いの例もある通り、腹八分は若者にもいえることである。人生の後半からは特に小食のほうがよい。自然に肉体の諸器官がそうなってくるから、食べる分量はさほど必要がなくなってくるのである。
 従って、体の状態においても気が軽いし、心や精神面も気楽で、気持ち、気分がよいのである。こうした習慣をつけると、体も、意識も自然そうなるのである。そうして、どんなことでも日課のようにして続けると、かえって若い時のように気が散らず、楽しみとなり、深い味も出てくるものである。
 この点、百歳まで生き抜いた老人たちについての調査を見ると、早寝早起き、腹八分というのが多数を占めている。
 腹いっぱい食べる人は、消化器官が完全に働けないから、栄養吸収も悪いが、消化も悪い。
 人間は消化器官を、食べ物を消化するだけだと思っているが、人間を本当の最高生物たらんとするためには、物事のすべてを肉体の諸器官と諸機能で消化、吸収しなければならない。
 門戸の唾液も、中心の生命核から発する精液も、肉体内のすべてのホルモン作用は分業的で差別的ながら、総合されて、全体の生命作用に統合、奉仕しているのである。一つ狂っても全体が苦しむ総合生命体の妙。
 その人間のホルモンというものは、年を取れば、だいたいにおいて変わるものである。一番変わるのは、唾液ホルモンである。
 これは、実際にあるべきものがだんだん薄らいでいく、消滅しつつある。また、体力がなくなってくる。体力のなくなってきた体に気力を出そうとしても、無理である。気迫を出そうとしても、出ない。
 そうした面は、神経でつかさどってもらわなければならぬ。代わる働きをしてくれるのは、神経作用以外にはない。
 唾液が薄くなるけれども、胃液はそれほど薄くならないもの。しかし、胃の機能は衰えさせてしまうとどうにもならない。
 胃の中には、七分目ぐらいの物を入れておきさえすれば、胃液は絶えず分泌し、胃の先の腸とか、その周辺にある肝臓とか、すべての臓器は間違いなく働いてくれて、消化してくれるのである。
 唾液が薄くなり、少なくなるから、老人は物を食べる時、噛むことがいっそう大切になる。常識の倍も三倍もよく噛んで食べること。
 それだけ時間がかかっても、唾液が十分に出れば、生気は失われずにすむ。人は唾液ホルモンという若返りの妙薬、長命の秘密を知らない。子供時代は唾液が多い。唾液と若返りの関係を見逃してはいけない。
[レストラン]年寄りに勧めたい多種少量主義
 続いて、高齢者が食事について注意してもらいたいことは、老人になると歯が不自由になったり、胃腸が弱くなったりしてカロリーの摂取が減りがちで、それにつれて蛋白質の摂取も減ることが多いので、蛋白質が欠乏しがちだということである。
 普通、蛋白の必要量は一日当たり体重毎キロ一グラムとされ、この量は老人にも当てはまると考えられているから、この程度の蛋白摂取は考慮する必要がある。
 ただし、老人が体重毎キロ一・五グラムといった大量の蛋白質を取ると、血中の残余窒素が上昇するといわれているので、特に多く摂取することは、むしろ有害とされている。脂肪については、大量の脂肪、ことに低カロリー食での大量の脂肪摂取は避けること。
 大切なことは、老人はカロリーの必要量が低いことが知られているが、これは活動組織の減少によることで、相対的に蛋白質を増加させ、この欠乏をきたさないようにすることである。
 そのためには、動物性の肉とか濃厚な物は避けるのがよいから、魚や植物性の蛋白質を多く摂取するようにしたらいいと思う。
 また、カロリーの摂取が少なくなると、正しい比率でビタミン各成分の摂取ができなくなりがちなので、十分なビタミンを補うことも必要で、老人のビタミン必要量は若年者と変わりないといわれている。水分も適当にとって、便秘を防ぐとともに、ビタミンを十分にとるように留意することが大切である。
 すでに述べた通り、老人での過栄養は好ましくなく避けるべきだが、老人の中には食事への興味が薄くなり、とかく栄養が偏って低栄養、栄養不足と思われる人が、案外多いことに注目する必要もある。
 これに対処するには、ご飯やめん類で満腹になりやすいから、おかずから食べたり、料理の品数を多くするようにアドバイスしたい。
 例えば、私の毎日の食卓には、常に二十種近い品が並べられるのである。量は少量ずつで、重ね鉢五個に十七、八種くらいを入れる。鉢の中身は、魚介類、納豆、昆布、佃煮、漬物、干物類、それに生の野菜などである。従って、価格にすれば割安の物ばかりであるが、長生きするには魚の多い日本食が最高という、最近明らかになった原理にはかなっている。
 これらをよく噛んで、唾液を十分に混ぜることが、私の健康の秘訣である。
 その上、多種類の食べ物を少しずつ食べて、その物独特の味をみることは、楽しいこと限りなし。食べ物は、少ない種類を大量に食べるよりも、たくさんの種類の物を少しずつ味わって食べる多種少量主義のほうが、栄養的にも好ましいし、かつ物事の味をみるという人間形成の上からも望ましいことである。
 そうして吸収された食べ物の価値、効果は多様、多種であり、それがすべて肉体の力となり、精神の糧となるのである。
 五味をバランスよく食べることも、内臓を鍛えるためにも大切だ。酢の物は肝臓、苦い物は心臓、甘い物はすい臓、辛い物は肺臓、塩辛い物は腎臓を強くする。食べすぎると逆に害になるので、量を考えることが肝心である。
 年寄りは物質的なことでも、精神的なことでも、何によらずすべてほどほどにやれ、過ぎたるは及ばざるにしかずである。




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■食生活の工夫2 [食べ方を工夫する]





[レストラン]眠れぬ人の各種の工夫
 近頃は不眠症で悩んでいる人も多いから、眠るための工夫として、飲み物、食べ物についても紹介していく。
 世上、寝つきをよくするために、最もよく用いられるのはいわゆる寝酒である。老人の就眠法の大部分はこれで、簡単で便利だが、全く問題がないとはいえない。幸いにして五体が比較的満足で、血圧も上が百四十内外で、下が九十よりさほど高くない程度なら、一応、許容範囲といえるが、百六十~百以上とあっては、結構だとはいえない。胃潰瘍(かいよう)、その他内臓疾患のある人はなおいけない。
 それに、寝酒といっても酒の種類も考慮を要する。なぜかというと、アルコールによって得られる眠りは、生理的な自然睡眠とはいえないからである。
 もちろん、私たちが必要とする眠りは、赤ん坊の眠りと同じく自然睡眠であるが、寄る年波とともに、程度の差こそあれ、中枢神経系統は十分な、ナイーブなというか、オーソドックスな眠りを与えることが困難になってくる。
 そこで、何らかの方法で、睡眠を勝ち取る必要が生じてくるわけだが、自然睡眠をとることは、なかなか難しい。
 アルコールのもたらしてくれるのは麻酔である。寝なければならないためとはいいながら、毎晩の麻酔は考えもの。万一やむを得ないとしても、最小限に食い止めるべきである。
 また、自然睡眠を麻酔とともにもたらす道があれば、人工睡眠としては理想的に近いものといえるかもしれない。
 ある東洋医学者によれば、ホップとアルコールの混合物が眠りを誘う目的に用いられるとすれば、単なるアルコールのみの使用に比して優れていることは、理の当然として考えられるという。
 そこで、両者の共存するビールは、単なる睡眠誘発のためなら、比較的無害なものといえるかもしれない。ただし、ビールのホップ含有量は一パーセントにすぎない。酒を全く飲まない私には、当否は弁じがたいが、その方面に詳しい知人の説によると、寝心地と朝の目覚めはビールが最良だというが、そうかもしれない。
 知人は小瓶一本をもって適量とするといっている。これは我が意を得ている。摂取する水の量が多きに失すれば、心臓に対しても、腎臓に対しても負担となる。
 就寝前は大量の水をとることは避けるべきで、この意味で知人の就寝前ビールの処方は、結構なものだろう。
 食事に関していえば、寝れないと嘆く人は、時間帯と量に問題はないだろうか。就寝前に食べたり、食べすぎたりするのは、眠りの妨げになる。眠くなる前に物をたくさん食べると、眠くなる作用はもう奪われてしまう。それだけ胃に負担がかかって、胃の働きが強くなればなるほど、他から出る機能は淡いものになるのである。
 食事時間を早くするか、夕食を軽めにして、朝食の量を増やす配慮をするべきである。また、カルシウム不足は神経がいらつきやすくなるので、小魚類を食べるようにする。
[レストラン]牛乳、ホウレンソウ、そば粉
 あまり空腹でも眠れないので、その時は温かい牛乳を飲むといい。食べ物については、残念ながら即効薬的な物はないといわれるが、それでも、牛乳、チーズなどの乳製品は、睡眠を誘う数少ない食べ物の一つといえるだろう。
 牛乳、チーズには、神経の興奮を静めるカルシウムもあり、消化、吸収が高いという長所がある。その上、牛乳、チーズ中に含まれるトリプトファンというアミノ酸の一種が、脳睡眠中枢を刺激して自然に眠りを誘うという働きもある。
 ノンレム睡眠は、セロトニンという物質と深いかかわりがあるとされている。不眠や睡眠障害を起こす時は、決まって脳内にセロトニンが減少しているからである。このセロトニンは、トリプトファンから作られるので、牛乳やチーズを勧めるのである。
 逆に、就寝前に濃いコーヒーや紅茶を飲むのは禁物。コーヒーや紅茶に含まれるカフェインが交感神経を刺激し、眠気を抑える働きがある。
 もう一つ、寝つきと寝覚めをよくする食事法を紹介しよう。愛媛大学の生化学教授の研究成果によると、ホウレンソウやトマトは低血圧によく、グリーンアスパラやシバエビは高血圧にいいという。
 百種類の食物成分をモルモットの血管に注入して、収縮率や拡張率を調べた結果、最も収縮したのがホウレンソウで三分の一程度になり、トマト、ショウガ、トウガラシなども収縮率が高かった。一方、拡張率は、グリーンアスパラが最も高く十パーセント広がり、シバエビ、ホタテ貝、ハマグリの順で、アジやカボチャなどにも、血管を広げる作用があった。
 寝覚めの悪い若い女性に多い低血圧は、ホウレンソウやトマトなどを食べればよくなり、逆に寝つきの悪い高血圧は、グリーンアスパラや貝類、魚類を食べれば治りやすい。また、肩凝り、冷え性、腰痛などの症状も、毛細血管を拡張させることで抑えることができるという。
 次は、肥満で悩む人への忠告。心臓に負担がかかるなど周知の弊害のほか、肥満のために、脂肪が肝臓に蓄積する脂肪肝によって、せっかく献血された貴重な血液が、輸血に使えないケースが増えている。美食や運動不足、酒の飲みすぎなどによる脂肪肝の人は、未知の肝炎に感染している可能性があり、体重が重いほど異常者が多く、輸血には使えないようだ。
 そこで、自身がやせたいと思うならば、生きるための濃厚食品や大食をやめて、生かされるための植物性低カロリー食品を時間をかけて、よく噛んで食べること。運動は、仕事に興味を持って働き続けること。働きという自然運動は、心身を調節するにはよい薬になる。
 胃弱や便秘で悩む人には、そば粉を勧めてみたい。そば粉を水に溶いて食べても、何の味もないが、食べていればけっこう合うものである。結局、唾液や胃液を分泌させやすい。
 合うということは、人間から見れば、味がないから「こんなまずい物」というけれども、体の中の胃液には、何にもない物が合うわけだ。
 そばという物は、元来、荒れ地を開墾してすぐまくくらいの物であるから、大地の力を吸収するとか、天地のエネルギーを吸収するという力が非常に強い植物だけに、できた実によって作られる粉は、肉体に対していうにいわれぬ力を持っているし、唾液、胃液の分泌に対しては特別な働きをするのであろう。
 便秘も治るし、胃も丈夫にするということで、内臓器官のある部分においては、そばは非常にきく物である。
 胸がつかえた時に、そば粉をかいて食べれば治る。それほど消化率というか、合うことにおいては、あれほど味のない物が、一番大きく役をするわけである。
 行者がそばがきだけ食べて行をしながら、厳冬を過ごすといっているが、そういう一見不思議のような事実が、そばには潜んでいる。
[レストラン]噛む食事法が解決する食糧問題
 人間の食生活について、さまざまな角度から私なりに論じてきたが、本章の最後に、日本の食糧の安全確保と世界の食糧問題も論じておきたい。
 述べてきた腹八分を、よく噛むという食事法は、実は、人間一人ひとりが、ただよく噛むということを実行すれば、世界の食糧問題は一挙に解決するほどのものである。
 それは、従来の二倍も三倍もよく噛む食生活は、感覚や感情的の好みの食事から、体そのものが要求する、正常食とその量となって、きわめて合理的な食生活法となるからこそである。
 現在一般の単なる嗜好(しこう)的の食生活から、実質的な食生活へ、イライラの飲み込む食事から、落ち着いた咀嚼による食生活になることで、日常の食事の量は必要なカロリーを失うことなく、従来の三分の二、ないしは今までの半量で足りることになる。もちろん、食費も三分の二か五割で足りるだろう。
 このことは、現下の世界的な食糧問題を考える上からも、見逃すことのできない大問題といってよいと思う。現在各地に飢餓状態の国もあり、多くの餓死者のある時、恵まれた先進国の人類がただ嗜好による飽食、過食、食荒らしの食生活をしていることは、国家的に、また国際的道義から考えても、大いに反省されなければならない問題であろう。
 飲みすぎ、食いすぎ、遊びすぎ、これを人権か特権のように思う常識を是正せねばならぬ。宇宙間の万物中、ぜいたくをしているのは人間だけである。恵まれた金持ち国の幸せ者は、もっと質素に、まじめに生活して、世界の弱者や不幸な人にささぐべきである。
 飽食、美食に浮かれている日本自体にしても、昭和五十八年頃で、食糧の自給率三十パーセントという数字は、あまりにも不安である。
 食糧の安全確保が大事なことはいうまでもない。日本ではほとんどの食糧を外国から入れている。せっかく海というものがあるのだから、国民の蛋白源である水産資源の開発に力を入れるなど、食糧の自給率をもっと向上させる必要がある。
 あまっているのは、米、牛乳、豚肉、鶏の卵ぐらいで、あまって生産制限をやってきた米も、今年は例の冷夏の影響で記録的不作であったから、緊急輸入する事態となったが、いずれにしろあまっているのである。
 明らかに足りない物は何かというと、数年前の統計で小麦は約十パーセント程度しか需給率がない。大豆は九十五パーセント輸入に頼っている。とうもろこし、こうりゃんといた飼料も、九十パーセント以上は輸入に頼っているのである。つまり、卵は百パーセント近い自給率といっているが、その九十何パーセントの飼料は外国産。ざっと三千万トンの飼料が入ってこないと、日本の畜産は成立しないという。
 日本人の食卓に上る物は、顔は国産、中身は外国産。昭和六十年で、カズノコ百、ハマグリ九十五、ゴマ百、マツタケ七十五、エビ七十二パーセントと聞くと、味覚ニッポンもほとんどが輸入材料なのである。
[レストラン]世界的な食糧危機を考える
 輸入に頼っていようと、繁栄した平和日本では飽食を享受している。しかし、今も地球上のどこかで、国と国、民族と民族とが武力抗争を展開し、人間同士が殺りくを繰り返している。また、五十数億の人類のうち、二十億人は必要栄養を満たしておらず、そのうち数百万人は餓死寸前にあったり、栄養失調で生死の間をさまよっている。これが一つの現実なのである。現在の地球は、一方に飽食ありて、一方に餓死ありなのである。
 かつて米国政府が発表した報告書「二十一世紀の地球」は、恐るべき未来予測である。人口は六十三億、さらに二〇三〇年には百億人に達し、人口爆発の状態になる。食糧の大半は富める国に流れ、南アジア、中東、アフリカなどの弱貧国の食糧事情は極度に悪化する。国家間の貧富の差は、とみに拡大するという。
 六十億、百億の人間が生きてゆくためには、他のあらゆる動物、植物が犠牲になる。
 人口の増加の九割が貧しい発展途上国だという。食糧問題、自然破壊を思えば、何としても人口抑制策を徹底して考えねばならない時にきている。だが、国連がその場かどうかは知らぬが、抑制の具体的な対策をさっぱり耳にしない。
 平成三年度で世界人口の二十三パーセントを占める中国は、「一人っ子政策」を掲げて、人口抑制に必死に取り組んで十数年になるが、莫大な罰金を払ってでも、労働力としての男の子が欲しい農村の実情から、努力しても実効が上がらぬ。野放しのインド、今後も毎年のように何千万人もの餓死者が出ると騒がれているアフリカ。百年後の人類が、本当に生きていれるだろうか。
 アフリカの飢餓については、「自然による人口淘汰(とうた)だ」とさえいう学者がある。人口増加と飢餓とのぎりぎりの接点が、いつの日にか訪れるにちがいない。
 人間が自ら、この地球の危機を救うための人口対策をしない限り、自然による淘汰は必至である。世界人口予測も、現在の環境を前提にしたものだけに、予想される世界的食糧危機、環境破壊が襲ってくれば、そうした数字は全くはずれるにちがいない。
 アフリカに見る異常事態が、実は常態として長く続くとすれば、現在のような食糧援助が果たして続けられるだろうか。
 昭和六十年、アメリカ環境問題諮問委員会の報告には、「二〇二〇年までには、発展途上国における物理的に接近可能な森林は、事実上すべて伐採されている」という恐るべき予想がある。
 人類の人口の急激な増加が、一つには耕作地を求めて、一つには建材や燃料を求めて森林を無残に伐採してゆく。今や世界の森は、毎分二十から四十ヘクタールの猛スピードで消滅している。二十世紀末までに、地球上の耕作適地の三分の一が砂漠化すると、国連環境計画では警告しているが、それは地球が肥沃な表土を失い、死にかかっているということでもある。
 世界の食糧のカギを握っているアメリカの農業でさえ、土地は疲れ、二、三十年もすれば全土の砂漠化が進み、土は死滅するとも警告されている。化学肥料が土中の微生物を殺し、水かけ農法が土中の塩分を地表に昇らせて、土地を砂漠化する。そのために、農業も次々と新しい土地を求めて移動するのである。食糧も飼料もアメリカに依存する日本農業は、それなりに長期的展望に立った自立化を、ぜひとも確立しておかなければならない。
 焼き畑農業に依存する世界の人口は三億人。すでに、二億ヘクタールに近い熱帯林が消滅した。これは炭酸ガスの増加を意味し、その濃度が非常に増え続けることは、地球の気象にも大きく影響する。
 気候の変化による砂漠化、人口増加に対応するために、森林をどんどん伐採していくことによる人為的砂漠化、両方相まって、土地の砂漠化は地球的規模で進行してゆく。
 地表に植物があれば、そこに水分がたまって、蒸発して雲になって雨になる。植物がなければ、雨も降らなくなり砂漠化が進む。この悪循環を何としても、どこかで断たなければならないわけである。
 さもなくば、人類は森林を倒し、緑を追い、野生動物を駆逐して、やがて人類自らを滅亡させてしまう危機を迎える日が間近に見えるではないか。
 世界的に見れば、もはや将来の食糧不足は歴然。次の十年間に、人口抑制、環境問題、そして、私の説くよく噛む食事法による食べる量の減量化に、どう取り組むかが二十一世紀の人類の運命を決めることになろうというわけだ。




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